目前分類:吉田拓郎 (4)

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幾歲變成也生日快樂

 

生日來
祝賀的 今天的日
好的 你精神
送恭喜恭喜吧

 

幾歲變成也happy birthday to you
幾歲變成也happy birthday to you


不留神做抱歉
你成為你的日
為人生從正面
相對走著

 

幾歲變成也happy birthday to you
幾歲變成也happy birthday to you

 

會有各種各樣的事
對人隱藏也會有哭
在蛋糕上立起蠟燭

 

以大家乾杯
不挫努力的你
給予勇氣拍手

 

幾歲變成也happy birthday to you
幾歲變成也happy birthday to you

 

人生的主角你
幸福運送也你
永遠不變
祈願你的健康和幸福

 

幾歲變成也happy birthday to you
幾歲變成也happy birthday to you
幾歲變成也happy birthday to you
幾歲變成也happy birthday to you

 

 

 

 『いくつになってもhappy birthday』は、日本のシンガーソングライター吉田 拓郎が2001年3月28日にリリースしたオリジナル・アルバム『こんにちわ』の中の全12曲中最初の1曲目に収録している楽曲です。また、同日にこの楽曲を収録したマキシシングル盤も発売されています。

 

 誕生日というものは、早く大人になりたい子供にとっては無条件に嬉しいものです。

 

 ところが、人はいざ大人になると、歳を重ねるごとにその喜びにも陰りが出てきて、また1年老いてしまったとか残された寿命が1年縮んだとか、ややもすると一抹の寂寥感を覚えがちなものです。

 

 この曲は、そのような中高年者に向けて、55歳の誕生日(4月5日)を目前にした吉田拓郎が『今日まで1年何事にもくじけずに生きてきて、そして明日からまた新しい1年が始まる。だから何歳になっても誕生日は目出度いのだ。人生の主役である君を祝福します。』というメッセージを込めて作詞・作曲した楽曲です。

 

 冬立つ今日の日、目出度く歳を重ねた貴女の健康と幸福を祈ります。

 

いくつになっても happy birthday

 

誕生日がやって来た
祝おうよ今日の日を
良かったネ 元気だネ
おめでとうをおくりましょう


いくつになっても happy birthday to you
いくつになっても happy birthday to you


うっかりしててごめん
君が君になった日を
人生に正面から
向かいあって歩いてる


いくつになっても happy birthday to you
いくつになっても happy birthday to you


いろんな事があったでしょう 人にかくれて泣いたでしょう
ケーキにローソク立てて
皆で乾杯しよう
くじけないで頑張る君
勇気に拍手おくろう


いくつになっても happy birthday to you
いくつになっても happy birthday to you


人生の主役は君
幸せ運ぶのも君
いつまでも変わらずに
元気でいて下さいネ


いくつになっても happy birthday to you
いくつになっても happy birthday to you

いくつになっても happy birthday to you
いくつになっても happy birthday to you

 

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「襟裳岬」三者三様

 【襟裳岬】
 襟裳岬は、、北海道幌泉(ほろいずみ)郡えりも町にある岬で、日高山脈の最南端から太平洋に向かって南へ突き出した断崖絶壁の岬で、海上に点々と岩礁群が伸びています。

 

 1973年、この地を訪れた詩人の岡本おさみは、盟友の吉田拓郎の依頼に応じて、襟裳の春を題材とする詩を1首作りました。
 これが、翌年演歌師の森進一が歌って一世を風靡した歌曲の「襟裳岬」です。

 

 「放浪の詩人」と呼ばれて、1箇月のうち20日以上を旅の空の下にいた岡本おさみの詩には、「旅の宿」や「めぐる季節に」など旅を詠んだものが多く残されています。
 この人の詩は、詩語そのものは平易なものですが、それらを組み合わせた各句は非常に包括的で難解なものになっています。
 このため、それを読む人それぞれに解釈が異なる深い詩であるとも言えるでしょう。

 

 以下、最も分かりにくい部分について、伊賀流の解釈をご紹介します。

 

1節
北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
*1
理由のわからないことで 悩んでいるうち(に)
老いぼれてしまうから
黙りとおした 歳月を ひろい集めて 暖めあおう
襟裳の春は 何もない春です*2

 

*1 「暖炉で燃やしはじめる」の語から、秋のことかと勘違いする人がいますが、ここ
  で燃やしているのは、薪でも石炭でもなく「悲しみ」ですので、季節は関係ありませ
  ん。
   また、北海道では、真夏でも雨が降ればストーブを焚くほど冷え込みますので、
  暖炉と季節とはそもそも無関係です。
*2 この句では、「襟裳に何もない」とは言っていません。
   「襟裳の春には何もない」、即ち「襟裳の春には、もう悲しみや悩みはない」と
  主張しているものと解釈されます。

 

2節
君は二杯めだよね コーヒーカップに
角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを*3
くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い 想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です

 

*3 この句から、「襟裳の春には、わずらわしさもない」と読み取れます。

 

3節
日々の暮らしはいやでも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
*4
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて ああおくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です

 

寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ*5

 

*4 この句からは、俗塵にまみれた日々の暮らしも笑い飛ばして生きていこうという
  前向きな主張が感じられます。
   当時、本人に責任のないスキャンダルに巻き込まれていた吉田拓郎と森進一の両人
  を思いやる岡本の心情が表されています。
*5 この1句は、襟裳岬に辿り着いた岡本が、あまりの寒さに傍にあった土産物屋に
  立ち寄ったところ、そこの女主人が「何もないけど暖まって行きなさい」と言いなが
  ら、お茶を差し出してくれたことに感激したことを詠じたものです。

 

以下、森進一、吉田拓郎及び岡本おさみ、三者三様の解釈による演唱をご紹介します。

森進一-襟裳岬

 

  演歌師の森進一が、フォークソングを歌うことになったのは、当時日本ビクターに入社したてのディレクターだった高橋隆(元ソルティー・シュガーのメンバー)が以前、吉田拓郎から「森さんみたいな人に書いてみたい」という話を聞いていて実現に至ったものです。
 しかし、ビクターレコード上層部や渡辺プロダクションのスタッフの反応は「フォークソングのイメージは森に合わない」「こんな字余りのような曲は森に似合わない」と評され、当初はシングル盤のB面扱いでした。
 当時の森は、妄想に憑りつかれたファンからの「森と婚約したのに裏切られた」との度重なる中傷誹謗と同居していた母親がそれを苦にして47歳の若さで自殺したことや、その後のマスコミによる根拠のないバッシングなどがあり、歌手を辞めようかと悩んでいた時期でした。
 当時、森と同様のスキャンダルに巻き込まれていた拓郎からの思いやりと、この曲の第3節の「日々の暮らしはいやでも やってくるけど 静かに笑ってしまおう」という歌詞に感動した森は、当時所属していた渡辺プロダクションのスタッフの反対を押し切り、両A面という扱いに変更して1974年1月に発売しました。

 

 森の演歌調にアレンジしたこの曲は、爆発的な大ヒットとなり、その年の第5回日本歌謡大賞と第16回日本レコード大賞とをダブル受賞し、年末の第25回NHK紅白歌合戦では、この歌で本人初の大トリを努めることになりました。
 森の喜びようは尋常ではなく、レコード大賞の授賞式には、滅多にテレビに出ない岡本と拓郎とが、この日だけは森の勧めに応じて作詞者と作曲者としてステージに上がりました。
 尤も、周りはタキシードなどを着込んだ正装なのに、拓郎だけはGパンにGジャンというスタイルで平然とトロフィーを受け取り、根も葉もないスキャンダルをでっち上げたテレビに対する反骨精神を示していました。

 

 


襟裳岬(つま恋コンサートより)
 吉田拓郎は、「襟裳岬」作曲に先立つ1973年4月18日の金沢公演の夜に、拓郎から強姦されたと騙る女子大生に訴えられて、逮捕されてしまいました。
 1箇月半に及ぶ勾留の後、結局、この女子大生がでっち上げた虚偽であることが判明して不起訴となり6月2日に釈放されて、その翌日には神田共立講堂のステージに立ちました。しかし、テレビや週刊誌などマスコミが吹聴したバッシングにあい、ツアーのキャンセル、曲の放送禁止、他人への提供曲も放送禁止、CM〔スバル・レックス(富士重工)、テクニクス(松下電器)〕の自粛といった処置がとられてしまいました。

 

 「襟裳岬」は、失意のどん底に在った拓郎が、同様の境遇にあった森の為に曲を書いたことが、万人の心に響くヒットの要因の一つとなったのかもしれません。

 

 岡本おさみの詩に曲を付けた拓郎は、自ら歌ったデモテープと共に楽譜を森に送りましたが、諸般の事情により、拓郎自身の歌唱指導はできませんでした。
 その後、拓郎の歌唱指導なしで完成した、オーケストラをバックに歌う森のデモテープが拓郎に届きました。
 その演歌調でドラマチックに歌い上げる森の歌唱を聞いた拓郎は、自身が歌ったデモテープの拓郎節とのあまりの違いに吃驚して、イントロのトランペットを聞いた途端にひっくり返って天井を仰いだと述懐しています。 

 

 森の歌がヒットした1974年の暮れ、拓郎は、セルフカバーで「襟裳岬」を発表しています。
 森の絶叫調の歌が歌唱を聴かせるのに対し、拓郎の淡々とした歌い方はあくまでもメッセージを伝えるものになっています。

 



岡本おさみ/風なんだよ/08)襟裳岬
 作詩した岡本おさみもこの曲を歌っています。
 自ら歌うことなど殆どなかった詩人の数少ないアルバムの中から1曲ご紹介します。
 優しい声で、歌詞そのものをしみじみと語る歌になっています。

 

 旅の宿で詩想を練り続けた放浪の詩人岡本おさみ、残念ながら一昨年(2015年)11月30日、終に帰らぬ旅に出てしまいました。享年74(満73歳)。  合掌

 

 

 

 襟裳岬

 一節
在北方街道裡 人們似乎已經把悲傷
開始丟到暖爐燃燒了吧
正當為莫名之事 而煩惱時
在不知不覺中 年華已漸逝去
把默默經過 的歲月 撿拾收集起來 加以暖和吧
襟裳的春天 是一無所有的春天

 

二節
你已喝兩杯咖啡了 咖啡杯中
只放了一塊方糖呢
將捨棄掉心煩的事 一起放入杯中
不停地來回攪拌著
卻回想起令人懷念的 已飄然而過的 夏之氣息
襟裳的春天 是一無所有的春天

 

三節 
每天的生活儘管感到厭倦 日子還是要過
靜靜地笑出來吧
在畏畏縮縮 的生活中
是因為已養成這種習慣與方式
裝模做樣擺著姿態說話 啊~這更顯出 膽小的一面罷了
襟裳的春天 是一無所有的春天

 

受寒的朋友 來訪了
沒有什麼好客氣的 請靠近暖爐 取個暖吧

 

 

 おまけ:鄧麗君、森進一「襟裳岬」現場版 1984.5.31 ▼

鄧麗君、森進一「襟裳岬」現場版 1984.5.31

 

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 【右下が、「全部だきしめて」のCD】

 

 「全部だきしめて」は1996年にKinKi Kidsと吉田拓郎が司会を務めたフジテレビ系音楽バラエティ番組「LOVE LOVE あいしてる」の主題歌として吉田拓郎が書き下ろしてKinKi Kidsと合唱していた曲です。  
 一般的にはKinKi Kidsが1998年に出したシングル「全部だきしめて/青の時代」の大ヒットによりKinKi Kidsの曲として認識されていますが、初めてこの曲が収録されたのは1996年の吉田拓郎のライブビデオ『感度良好ナイト LIVE in 武道館』、CDでは1997年の"吉田拓郎とLOVE2 ALL STARS"のセルフカバーアルバム『みんな大好き』の中に唯一の新曲として特別にミニCDに収録されていますので、KinKi Kidsの曲は正式には、吉田拓郎の後で発表したカバー曲です。
 両者の歌詞は同じですが、サビの繰り返しが若干異なります。

 

 以下、吉田拓郎版でご紹介します。
 歌詞に登場する「きみ」と「ぼく」との関係については、恋人とも友人とも解釈できます。
 若いKinKi Kidsは当然のようにラブソングとして歌っていましたが。吉田拓郎は友情を歌っているように思えます。

 

 

 全部だきしめて     擁抱全部

 

きみのすべてを ぼくの自由にしたくて    你的全部 我不想做我的自由
ずっと大切にしてたわけじゃない        我只是一直很重視你
だからなにも 信じられなくなっても       因此就算 你不相信我
ぼくを試したりしなくて いいんだよ       你不必試探我 夠了

 

いいさ 落ち込んでだれかを傷つけたいなら  好了 因為失落而想傷害誰的話
迷うことなく ぼくを選べばいい           不要猶疑 可以選我
さびしさの嵐のあとで                 寂寞的山風之後
きみの笑顔を さがしてあげるよ         你的笑臉我給你

 

きみがいたから 勇気を覚えて          因為有你在所以感覺到勇氣
知らない場所も 目をつぶって走れた     不熟識的地方都 能夠閉著眼走了
きみのために できることを            為了你 可以做的事
あれからずっと 探してる             從那時起一直尋找著

 

全部だきしめて きみと歩いて行こう     擁抱全部 和你走著
きみが泣くのなら きみの涙まで        要是你哭泣的話 連你的眼淚都
全部だきしめて きみと歩いて行こう     擁抱全部 和你走著
きみが笑うなら きみの笑顔まで        要是你笑的話 連你的笑臉也要帶著

 

(間奏)

 

ひとりになるのは誰だって恐いから       變成孤單一人 誰都會害怕
つまづいた夢に 罰をあたえるけど       挫敗的夢 雖是懲罰
間抜けなことも 人生の一部だと         愚蠢的事也 是人生的一部份
今日のおろかさを 笑い飛ばしたい       今天的愚昧 想要一笑了之

 

なにかをひとつ 失した時に           不論甚麼一個 失去的時候
人は知らずに なにかを手にする       人不知不覺地 得到甚麼
きみのために できることを           為了你 可以做的事
あれからずっと 探してる            從那時起一直尋找著

 

全部だきしめて きみの近くにいよう     擁抱全部 我會在你身邊
星になった歌も 過ぎた想い出も       星星都為你唱歌 和過去的回憶都
全部だきしめて きみの近くにいよう     擁抱全部 我會在你身邊
きみが黙るなら きみにささやいて      要是你沉默的話 和你耳語

 

(間奏)

 

全部だきしめて きみと歩いて行こう      擁抱全部 和你走著
きみが泣くのなら きみの涙まで        要是你哭泣的話 連你的眼淚都
全部だきしめて きみと歩いて行こう      擁抱全部 和你走著
きみが笑うなら きみの笑顔まで        要是你笑的話 連你的笑臉也要帶著

 

全部だきしめて きみと歩いて行こう      擁抱全部 和你走著
きみが泣くのなら きみの涙まで        要是你哭泣的話 連你的眼淚都
全部だきしめて きみと歩いて行こう      擁抱全部 和你走著
きみが笑うなら きみの笑顔まで        要是你笑的話 連你的笑臉也要帶著

 

 


全部だきしめて2005 Versione

 

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 「今日までそして明日から」(きょうまでそしてあしたから)は、シンガーソングライターのよしだたくろう(現表記:吉田拓郎)が大学在学中に作詞・作曲したものを、25歳を過ぎてからデビュー3枚目のシングルとして、1971年(昭和46年)7月21日にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売した楽曲です。
 この曲は吉田の代表曲の一つとして、発表から46年を経た今でも彼のコンサートではしばしばエンディングナンバーとして演唱されています。

 

 また、この曲の簡潔ながらも深い詩想に共感した10人以上の歌手によってカバーされています。

 

 この歌詞では、10回繰り返される「私は今日まで生きてみました」の句がキーフレーズとなっています。
 「生きて"き"ました」と表現すると、ただ単に「ずっと生き続けている」という意味になり、詩想は広がりません。
 「生きて"み"ました」と表現することにより、「試しに生き続けている」或いは「ともかく生き続けている」という意味になり、一体この人は何を考えて生きているのだろうかと想像力を掻き立てられます。

 

 作者の吉田 拓郎、弱冠二十歳前後の作品ですが、この人は若い頃から老成した詩を作ることがよくありました。
 「私は今日まで生きてみました」の1句は、人生の意義や生きる意味についての深い思索の後、解答は得られないものの、明治の昔「人生不可解」として華厳の滝に身を投じた藤村操を真似る気にもならず、「取りあえず試しに今まで生きてきたのだ」と言外に表現しているように思われます。
 ただ、今まで生きてみて、他人の援助や協力或いは逆に裏切りや妨害などもあったことを詠じて、世間との関係についても簡潔明瞭に述べています。

 

 そして、「明日からも こうして生きて行くだろう」と結ぶことにより、今までどおり肩に力を入れない自然体の生き方を継続する意思を表明しています。

 

 「生きることに意味はあるのか?」という問いかけは、カール・グスタフ・ユングのように高名な心理学者が一生をかけて研究しても解けなかった人類永遠の謎です。
 そのような哲学的な疑問に煩わされることなく、とにかく生きていることが重要なのだと作者は主張しているように思えます。

 

 しかし、そのように詠じている作者も、実は生き方について一つだけ提案をしています。
 「わたしにはわたしの生き方がある それはおそらく自分というものを 知るところから始まるものでしょう」との連句は、一脈、孫子の兵法の「彼を知り己を知らば百戦殆からず」に通ずるもので、「先ずは自分の能力・適性を知った上で、他人の真似ごとではない自分らしい生き方をしよう」と主張しています。

 

 ところが、「自分らしい生き方」を望んではいても、現実の世の中、他人との関わりにおいてなかなかそれを実現するのも困難な場合もあります。
 そのようなときのために、「けれど それにしたって  どこで どう変ってしまうか
 そうです わからないまま生きてゆく
」と述べて、環境の変化への適応の必要性にも言及しているのであります。

 

 歴史とは、後世に名を残す一部の偉人や英雄・豪傑が作っているのではありません。
 大多数の名もなき一般大衆が形作っているのです。
 この詩は、その一般大衆が生きるための処世訓ともいえる内容を包含しています。

 

 生きる意味など分からなくても構いません。
 とにかく、生きていることそのものに意味があるのです。
 そのことが、この国の歴史、延いては人類全体の歴史を形成する一助にもなるのです。

 

 ところが、1971年にこの曲が発表された当時、伊賀山人と真逆の意見を述べる人もいました。
 当時、読売新聞文化部に所属していた大沼正という人は、レコード評で次のように書いています。

「"時にはだれかの力をかりて" "今日まで生きてみました"なんてさっぱり分からない。若者のちょっぴりした感慨を並べただけじゃないか、という気がする。よしだはフォーク界では、かなり通ってるらしいがこの歌に限り岡林や高石とはほど遠い。メロディもなく、歌にもなっていず、なによりフォークの持つ風刺やユーモアが欠けている。ボブ・ディラン近くは浅川マキを聞き直すべきだ」

 楽曲の解釈は人それぞれですが、全く異質なボブ・ディランと浅川マキを同列に論じるなど、どうもこの人は真面目に歌詞を読んでいないか、読んでも理解する能力に欠けているようです。
 当時のフォークソングと言えば、欺瞞的ともいえる反体制・反戦を声高に主張するものが主流であったとはいえ、このような無知蒙昧な輩が評論家を標榜して垂れ流す雑音には惑わされぬほうがよろしいでしょう。

 

 今回は、オリジナルバージョンとその43年後に谷村新司が司会を勤めた歌番組の中で「~100年後の君に聴かせたい歌~」として紹介されたバージョンをご紹介します。
  2003年4月の肺がん手術から復帰してからは、吉田の歌い方にも一種の凄味が加わっています。
 

 【吉田拓郎歌碑】
 なお、  2008年8月3日に吉田の母校の広島修道大学(旧広島商科大学)では、彼が在学中に作詞・作曲したことを記念して、「今日まで そして明日から」の歌詞と1970年代と2000年代の吉田の写真を取り入れた歌碑を建立して、吉田拓郎と彼の作ったこの楽曲を永久に顕彰しています。

 

 


吉田拓郎 -今日までそして明日から-

 


吉田拓郎 今日までそして明日から 100年後に残したい歌 (BS日テレ)

 

 

今日までそして明日から
到今天又從明天

 

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力をかりて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

 我到今天試試生活了,
 有時我藉助于誰,
 有時又被誰抱住。
 我到今天試試生活了,
 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。

 

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

 我到今天試試生活了,
 有時誰被我嘲笑,
 有時我被誰威脅。
 我到今天試試生活了,
 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。

 

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとりあって
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

 我到今天試試生活了,
 有時我被誰齣賣,
 有時我和誰攜手。
 我到今天試試生活了,
 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。

 

わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう

 我要有我的生活方法,
 恐怕要從
 知道自己是誰開始

 

けれど それにしたって
どこで どう変ってしまうか
そうです わからないまま生きてゆく
明日からの そんなわたしです

 但是要了那個,
 在哪裡中怎樣變
 因那樣而不明白生動,
 是從明天開始的 那樣的我。

 

わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました

 我到今天試試生活了,
 我到今天試試生活了,
 我到今天試試生活了,
 我到今天試試生活了。

 

そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと           

 又現在我思念,
 會又從明天開始,
 這樣也做持續活。
                     

 

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