目前分類:美空ひばり (5)

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 【伊賀山人の庭に咲くハハコグサ(母子草、別名:御形・鼠麹草)】

 

 「雑草の歌」は、1976年(昭和51年)に発表された美空ひばりの楽曲です。

 

 この歌の作詞者名は「加藤和枝」、つまり美空ひばりの本名です。
 美空ひばりこと加藤和枝は、その生涯で余り多くはありませんが詩を詠んでいます。
 美空ひばりが作詞し、生前に曲が付けられたものは22曲あり、他の歌手への楽曲提供を除くと18曲を自ら歌っています。

 この「雑草の歌」もその中の1曲です。

 

 「歌謡界の女王」の異名をとり、その死後は女性初の国民栄誉賞を受賞することになる美空ひばりも、この当時は実弟の起こした暴力団がらみ の不祥事などにより、全国の公会堂や市民ホールから会場の使用を拒否されるなどバッシングの嵐に曝されておりました。
 マスコミもこれを大きく取り上げたことから、16年間連続出場し11回大トリを努めた紅白歌合戦も出場を辞退せざるをえず、NHKを始め殆どのマスメディアから姿を消していた失意の時期でありました。

 

 そのような時に、自分を雑草になぞらえて、「今まで踏みつけられ叩かれて、私は強い女になったのだ。咲かずに散ってたまるものか!」と主張して逆境に立ち向かう歌謡界の女王の意地と矜持を示したのが、この「雑草の歌」なのであります。

 

  なお、以下の動画には漢訳の字幕がありますが演唱用に意訳されていますので、動画の下方に別の漢訳を添付します。

 

 

 


雑草の歌~美空ひばり

 

 

 雑草の歌(雜草之歌) 
          1976年(昭和51年)作詞:加藤和枝  作曲:遠藤実
                  演唱:美空ひばり(美空雲雀)                     

 

1節
生まれて今日まで 耐えてきた   (自出生起忍受煎熬至今日)
こんな涙を 誰が知る       (這樣辛酸的淚水有誰能明瞭)
踏まれながらに 生き抜いて    (於被踐踏之中掙脫而出)
路ばたにはえる 草のよな     (彷彿是路邊長出的野草)
強い強い女になりました      (蛻變而成堅強的女人)

 

2節
咲かずに散っては いけないと  (不可未綻放即飄零而去)
そんな自分に むちを打つ    (這就是我如此鞭策自己)
辛いこの世を 生き抜いて    (於艱辛世道之中掙脫而出)
路ばたにはえる草のよな     (彷彿是路邊長出的野草)
強い強い女になりました       (蛻變而成堅強的女人)

 

3節(台詞)
私のこの体の中には                (在我身軀之中)
日本に生まれた古い血が流れています    (流著台灣自古以來相承的血脈)
そんな人間の少なくなった今日でも       (即使現今如此之人已是少見)
おてんと様だけは               (唯有太陽是)
私を照らしてくれました            (一直照耀著我)

 

附節
辛いこの世を 生き抜いて   (於艱辛世道之中掙脫而出)
路ばたにはえる草のよな    (彷彿是路邊長出的野草)
強い強い女になりました    (蛻變而成堅強的女人)

 

 

  雜草詩
       伊賀山人作七言古詩平水韻上聲皓
諸佛菩薩慈悲皓
一直照耀雲中道
艱難辛苦何足懼
路邊綻花厝角草

 

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 【人生一路】 美空雲雀

 

(前奏)
  ・
  ・
  ・
〔第壹節〕
一旦決定了就不再更改
(Ichido kimetara nidotowa kaenu)
這是我的生存之道
(korega jibunno ikiru michi)
不要哭泣不要迷惘 痛苦的堅持之後
(nakuna mayouna kurushiminuite)
人的願望總會實現
(hitowa nozomiwo hatasunosa )

 

〔第貳節〕
忍受著被埋在深厚的積雪之下
(yukino fukasani umorete taete)
等待著小麥長出芽來的春天
(mugiwa mewo dasu haruwo matsu )
置身於生存的試練之中 
(ikiru shirenni miwo sarasutomo)
秉持著意志 成為真正的人
(ijiwo! tsuranuku hitoni nare) 

 

〔第參節〕 
心中抱著志氣與熱誠
(muneni konjyohno honoowo daite )
邁向選擇的這條路往前衝
(kimeta! kono michi mashigura)
賭著明天 人生這條路
(asuni kakeyoh jinnsei ichiro )
像花辛苦的在風中綻放
(hanawa! kurohno kazeni sake)

 


美空ひばり  人生一路

 

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 【昴:プレアデス星団】

 

 『昴 -すばる-』は、日本のシンガーソングライター谷村新司(たにむら しんじ、1948年12月11日 - )が、1980年4月1日に発表した楽曲で、今でも谷村のコンサートでは必ず歌われる代表曲の一つです。
 「昴」の直接の意味は、おうし座にあるプレアデス星団のことで、この星団は肉眼でも見ることが出来ます。

 

 この曲は、谷村がフォークグループのアリスのリーダーを務めていたころの1980年に、グループと並行して始めたソロ活動の一環として制作された曲です。

 

 谷村の自著『谷村新司の不思議すぎる話』(2014年1月30日刊、マガジンハウス)によると、この楽曲の歌詞は、引っ越しのため荷作りをしていた谷村が床に寝そべりながらダンボール箱に思い付いたことを書いて出来たものだそうです。
 また、後に谷村は、この歌詞のキーワードである「さらば昴よ」は、プレアデス星団が自分だけに告げた句で20年間その意味は分からなかったが、「物を中心に据えた価値観に別れを告げるという意味だった」と解して納得したと冗談めかして述べるなど、甚だ不可思議な歌詞です。

 

 その為、人それぞれに様々な解釈が成り立ちますが、伊賀山人の解釈としては、これは多分、明治の歌人 石川啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)の心境を詠じたものだろうと考えています。

 

 石川啄木の死後出版された第二歌集『悲しき玩具』には、次の二首が収められています。

   「悲しき玩具」から抜粋

 

    呼吸(いき)すれば、

    胸の中(うち)にて鳴る音あり。

    凩(こがらし)よりもさびしきその音!

 

    眼閉づれど、

    心にうかぶ何もなし。

    さびしくも、また、眼をあけるかな。

 

 谷村の「昴」は、この石川の詩想を踏まえたものとみて間違いないでしょう。

 

 また、石川は1909年から1913年まで刊行されたロマン主義的な文芸雑誌『スバル』の創刊号から約1年間、同誌の発行名義人を務めています。

 

 石川は、その時期に『赤痢』『足跡(その一)』などの小説も発表しましたが、詩歌とは勝手が違って、それらの多くは評判があまり芳しくなく、失意のうちに「スバル」を去っています。
 その後、程なくして肺結核を患い、2年後には世を去っています。

 

 谷村本人が、そのことを意識していたかどうかは判然としませんが、石川の故事を顧みると、谷村の歌は「スバル(=昴)」に別れを告げた石川が、結核の為「青白き頬のままで」新天地を求めて旅立つ姿を詠じたものと伊賀山人は考えています。

 

 旅立ちの留別を勇壮に歌い上げた谷村新司の代表曲ですが、今回は、美空ひばりの演唱でご紹介します。
 動画は、1986年3月9日中野サンプラザで行われた、美空ひばりの歌手生活40周年記念リサイタルで収録されたものです。

 

 

 昴
                              作詞・作曲:谷村新司 演唱:美空ひばり
目を閉じて 何も見えず 哀しくて目を開ければ
荒野に向かう道より 他に見えるものはなし
ああ 砕け散る宿命(さだめ)の星たちよ
せめて密やかに この身を照らせよ
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ

 

呼吸(いき)をすれば胸の中 凩(こがらし)は吠(な)き続ける
されど我が胸は熱く 夢を追い続けるなり
ああ さんざめく 名もなき星たちよ
せめて鮮やかに その身を終われよ
我も行く 心の命ずるままに
我も行く さらば昴よ

 

ああ いつの日か誰かがこの道を
ああ いつの日か誰かがこの道を
我は行く 蒼白き頬のままで
我は行く さらば昴よ
我は行く さらば昴よ ...

 

 

 昂宿星團
                               作詞・作曲:谷村新司 演唱:美空雲雀
閉上雙眼 什麼都看不見  如果睜開悲傷的雙眼
除了前面荒野的道路  什麼都看不到
啊 命運破碎離散的星兒啊
至少寂靜悄悄地 照耀我身啊
我將獨行遠去上 掛著依舊倉白的臉頰
我將獨行遠去 再見吧 昴星啊

 

雖然吸著氣 刺骨寒風  在心中悲鳴不已
但是我心中充滿熱情  繼續追逐夢想 使其美夢成真
啊 閃閃爍爍 無名之星群啊
至少也要光彩亮麗的 結束這一生吧
我將獨行遠去 隨心所欲(了無羈絆)
我將獨行遠去 再會吧 昴星啊

 

啊 不知道哪一天 誰會來走這條道路
啊 不知道哪一天 誰會來走這條道路
我將獨行遠去 掛著依舊倉白的臉頰
我將獨行遠去  再見了  昴星啊
我將獨行遠去  再見了  昴星啊…

 

 


美空ひばり - 昴(すばる) LIVE (中/日歌詞字幕)

 

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【愛粲粲亮亮】 美空雲雀

 

(第壹節)
雨 嘩啦啦地落在身上
怨恨僅有的時運不好
人真是悲哀 真是悲哀啊
縱然如此 往事一一
輕輕地休息於睫毛上 不要去想它們
人生 真是不可思議啊

 

(第貳節)
風 呼呼地強烈摧殘在身上
不能如願以償的夢想 是失落了
人真是脆弱 真是脆弱啊
即使如此對未來的一切
仍面帶笑容等待著
人生 還是令人喜悦啊

 

(第參節)
愛 閃亮燦爛地 降臨在身上
不禁悄然流下深藏心底喜極而泣的淚水
人真是可愛 真是可愛啊
啊~ 往事一一
輕輕地休息於睫毛上 不要去想它們
人生 真是不可思議啊

 

(附節)
啊~ 對未來的一切
仍面帶笑容等待著
人生 還是令人喜悦啊

 

 

 

 

 愛燦燦
                       
雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)う
人生って 不思議なものですね

 

風 散散(さんざん)と この身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失(なく)したりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)む
人生って 嬉しいものですね

 

〔間奏〕

 

愛 燦燦(さんさん)と この身に降って
心秘そかな嬉し涙を 流したりして
人はかわいい かわいいものですね
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね

 

ああ 未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)む
人生って 嬉しいものですね

 

 

 【二胡演奏:張濱版】

 

 

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 川の流れのように 
              作詞:秋元康 作曲:見岳章 演唱:美空ひばり
(第1節)
知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生

 

ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

 

(第2節)
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから

 

ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら

 

(附節)
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

 

 

 川流不息
       
  美空雲雀
(第壹節)
 不知不覺 走到了這裡
 細細長長的這條路
 如果 回過頭的話
 看得到遙遠的故鄉
 崎嶇不平的道路 彎彎曲曲的道路
 沒有地圖的指引 這就是人生

 

 啊 像河川一樣的流著
 緩緩流著
 經歷無數個時代
 啊 像河川一樣的流著
 毫不停止地
 只剩下晚霞遍染的天空

 

(第貳節)
 生命就如同旅行
 在這個沒有終點的道路上
 與相愛的人 攜手為伴
 共同尋找夢想
 就算下雨溼透了道路
 也總有放晴的一天

 

 啊 像河川一樣的流著
 安詳平穩地
 讓人想寄身其中
 啊 像河川一樣的流著
 四季的推移
 靜待雪融化的季節

 

(附節)
 啊 像河川一樣的流著
 安詳平穩地
 讓人想寄身其中
 啊 像河川一樣的流著
 無時無刻
 只聽到青綠的細流

 

 

【最後の映像】 美空ひばり/川の流れのように

 

 

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