目前分類:ヘイリー・ウェステンラ (3)

瀏覽方式: 標題列表 簡短摘要

  【縄文集落想像図】

 

 1966年から67年にかけて、北海道洞爺湖町にある入江貝塚と呼ばれる、今から約4000年前の縄文時代の遺跡の発掘調査で、15体の遺骨が発見されました。

 

 その内の『入江9号(以下「イリエ」と言う)』と名付けられた一体は、頭部が普通の成人女性の大きさなのに、両腕と両脚が極端に細く、とても立って歩くことなどできないような骨格でした。
 その後の調査で、イリエは、幼少期に急性灰白髄炎(ポリオ、小児マヒ)を患い、殆ど寝たきりの状態であったものの、死亡推定年齢約20歳までの寿命を全うしたことが判明しました。
 そして、それまでの縄文時代観であった「弱者は淘汰される。」という学会の定説を覆したのであります。

 

 縄文時代は、今から約1万5000年前に始まり、その後、約1万2700年間もの長きに亘って続きました。
 縄文人の人口は、縄文早期の2万人から縄文中期には26万人にまで順調に増加しましたが、イリエが誕生したころには、気候悪化の影響による食糧不足から、約10万人に減少しておりました。
 縄文人の平均寿命は、乳幼児死亡率の圧倒的高さにより、男女ともわずか14.6歳と推計されています。運良く15歳まで生きた男女の平均余命が約16年に過ぎないことから、最高で31歳ぐらいの短命であったようです。

 

 縄文の昔、生きることは食べることと同義でありました。
 食べなければ生きてゆけませんし、生きていなければ食べることはできません。
 食べることこそが、生き甲斐であり、何よりの楽しみであったのです。

 

 重度障礙者のイリエは、自分の力で食糧を得ることはできませんでした。
 生まれて暫くの間は、両親の介護を受けていたものと思われますが、その両親も当時の平均余命から考えると、イリエが10歳になるころには、既に鬼籍に入っていたことでしょう。
 その後のイリエは、兄弟或いは集落の人々に支えられて生きてきたことは疑う余地もない事実でしょう。

 

 周囲の人々が、乏しい食料を分ち合ってイリエを支えてきたのは、人々に備わっている惻隠の情や慈悲の心が原動力であることは間違いありません。
 しかしながら、ほぼ寝たきりのイリエが全く周囲の人々の役にたたない厄介者であったと考えるのは間違いです。
 生まれながらの障礙を持ちながらも、日々明るく生き抜き、ご飯を食べて喜ぶイリエの顔を見ることが、却って、イリエを支える人々の幸せとなり、生き甲斐となり、人生をより豊かにする力ともなっていたのでありましょう。

 

 障礙者福祉とは、近代になって突然、誰かが思いついたような新しい概念ではありません。
 縄文の昔から、弱者を慈しみ労わる福祉の精神は、この国の人々のDNAに摺り込まれて現在に至るまで連綿と受け継がれている筈のものなのであります。
 また、先にも述べたとおり、障礙者は単なる憐みや施しの対象ではありません。
 ましてや、健常者の優越感を満たすことなどに存在価値があるのでもありません。
 障礙の有無に拘らず、人が健気に生き、笑い喜びそして楽しむ姿そのものが周囲の人々の力にもなり、それが人としての存在価値の一つにもなるのでありましょう。

 

 多くの人々に囲まれて輝いていたイリエの短い生涯は、例え一歩たりとも立ち上がって歩くことのできないものであったとしても、決して不幸なものではなかったであろうと、伊賀山人は考えるのであります。

 

 

 曲題:天賜恩寵/奇異恩典   amazing grace     (驚くべき恩寵)
 演唱:海莉 薇思特娜       Hayley Westenra  (ヘイリー・ウェステンラ)

 


天賜恩寵/奇異恩典(海莉薇斯特娜)(Amazing Grace-Hayley Westenra)

文章標籤

伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

 

 Amazing Grace(アメイジング・グレイス:驚くべき恩寵:奇異恩典/天賜恩寵)は、イギリスの牧師ジョン・ニュートン (John Newton,1725–1807)が、1772年に作詞した賛美歌です。
 "amazing"とは「驚くべき」「素晴らしき」の意で、"grace"とは「神の恵み」「恩寵」の意です。
 作曲者は不詳で、アイルランドかスコットランドの民謡を元に作られたとか、19世紀に南部アメリカで作られたとかの諸説があります。

 

 ジョン・ニュートンは1725年イギリスに生まれました。母親は敬虔なクリスチャンでしたが、ニュートンが7歳の時に亡くなっています。
 成長したニュートンは、商船の指揮官であった父に付いて船乗りとなりましたが、さまざまな船を渡り歩くうちに黒人奴隷を輸送するいわゆる「奴隷貿易」に携わり富を得るようになりました。

 

 当時奴隷として拉致された黒人への扱いは家畜以下であり、輸送に用いられる船内の衛生環境は劣悪でありました。このため多くの者が輸送先に到着する前に感染症や脱水症、栄養失調などの原因で死亡したといわれています。

 

 ニュートンもまたこのような扱いを拉致してきた黒人に対して当然のように行っていましたが、1748年5月10日、彼が22歳の時に転機は訪れました。
 イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭い浸水して転覆の危険に陥り、今にも海に呑まれそうな船の中で、彼は必死に神に祈りました。
 敬虔なクリスチャンの母を持ちながら、彼が心の底から神に祈ったのはこの時が初めてだったといいます。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れたのであります。
 ニュートンはこの日を精神的転機とし、それ以降、酒や賭け事、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになりました。また、彼は奴隷に対しそれまでになかった同情を感じるようにもなりましたが、それは人道主義に基づくものではなく、あくまでも家畜の一種である奴隷に対する動物愛護の精神によるものでした。
 その為、その後の6年間も依然として奴隷貿易に従事し続けました。
 彼自身が後に「真の改悛を迎えるにはさらに多くの時間と出来事が必要だった」と語っています。

 筆者注:

 大東亜戦争以前に欧米の植民地で白人が行なった現地人に対する虐待政策から分かるように、白人は有色人種を従順な家畜かやや反抗的な猿の一種と考えていました。

 一般の白色人種が黒色人種や黄色人種を人間扱いするようになるのは、日本との交戦結果、有色人種も馬鹿にはできないと悟った戦後のことです。

 

 1755年、ニュートンは病気を理由に船を降り、勉学と多額の献金を重ねて牧師となり1772年に「アメイジング・グレイス」を作詞しました。
 オリジナルの歌詞の中では、黒人奴隷貿易に関わったことに対する悔恨と、それにも拘らず赦しを与えてくれた神の愛に対する感謝が歌われています。 ただし、「自分の生ある限り神は恩寵をくれる」とか、「たとえ自分が死んだとしても、神は永遠に自分のものになる」と詠ずるなど、かなり自己中心的なものでした。

 

 その後、200年以上の時を経て、この独善的で虫のいい歌詞には修正が施され、現在では多くのバージョンが存在しますが、いづれも神の恩寵は黒人や黄色人も含む全ての人々に施されるようなニュアンスに変わっています。

 

 そのことから、この楽曲は黒人の間でもゴスペル或いは黒人霊歌として、教会で歌われるようになり、今では人種を問わずアメリカ合衆国で最も慕われ愛唱されている曲の一つとなっています。

 なお、この歌詞の中に見える「grace will lead us home」とは、「神の恵みが私たちをホームへと導くだろう」との意味になりますが、文脈判断上ここでいう「ホーム」とは「自分の家」ではなく「神の家」つまり「天国」と解釈するのが自然です。

 そのため、2015年6月17日南部サウスカロライナ州チャールストンの教会で黒人9人が射殺された事件がありましたが、同月26日に行われた犠牲となった牧師の葬儀に参列したオバマ大統領は、この「アメイジング・グレイス」を演唱して「神の家に召された」牧師の冥福を祈っています。

 日本では、結婚式で歌う人もいるようですが、この歌詞の内容は決してお目出度いものではありません。

 

 何はともあれ、この楽曲は世界中の数えきれないほど多くの歌手がカバーしていますが、そのスタイルは大きく二つに分けられます。

 

 一つは元々のゴスペル調で、手拍子を打ち身体を揺すりながら合唱するもので、エルビス・プレスリーのバージョンがその一例です。
 もう一つは、ミュージカル調或いはオペラ調で朗々と独唱するもので、日本では本田美奈子がこれに相当します。

 

 今回は、史上最年少の16歳で「ユニセフ親善大使」に任命されて精力的に活動していることでも知られているニュージーランドの歌姫ヘイリー・ウェステンラ(Hayley Westenra、1987年4月10日 - )の独唱でご紹介します。

筆者注:詞中に見える「T'was」 とは「it was」 の短縮形です。

 

 Amazing grace
 
アメイジング・グレイス
 奇異恩典
                   ヘイリー・ウェステンラ

 

Amazing grace, (how sweet the sound)
That saved a wretch like me.

I once was lost, but now I'm found;
Was blind, but now I see.

驚くべき恩寵、(なんと甘美な響きだろうか)
私のように哀れな者を救って下さった。
かつては道を失ったが、今は見つけられ、
かつては盲目であったが、今は見える。

奇異恩典 (其音何等甘甜)
施下恩惠 至我這樣的靈魂
我曾迷失 但今重回正途
曾不見光明 但今以雙眼看這世界

 

T'was grace that taught my heart to fear,
And grace my fear relieved;

How precious did that grace appear
The hour I first believed.

神の恵みが私の心に恐れることを教え、
そしてまた、その恵みが恐れから私を解放した
どれほどすばらしい恵みが現れただろうか、
私が最初に信じた時に。

神蹟教我心何謂恐懼
並解救我的恐懼
直至初次相信才能了解
神蹟多珍貴

 

Through many dangers, toils and snares,
We have already come.

T'was grace that brought us safe thus far,
And grace will lead us home.

多くの危険、苦しみと誘惑を乗り越え、
私達はすでにたどり着いた。
この恵みがここまで私達を無事に導いた。
そして、更に恵みは私達を神の家へと導くだろう。

雖有幾多危險和痛苦和誘惑
我已安然度過
神蹟保我以平安
並將引我入神之家

 

When we've been here ten thousand years
Bright shining as the sun.
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first begun.

私達はここに一万年いたとしても、
太陽のように輝きながら
神への讃美を歌わない日はないだろう。
私たちが最初に歌い始めた時と同じように。

將來禧年,聖徒歡聚
恩光愛誼千年
喜樂頌讚,在父座前
深望那日快現

 

Than when we've first begun.
私たちが最初に歌い始めた時と同じように。
深望那日快現

 

 


天賜恩寵/奇異恩典(海莉薇斯特娜)(Amazing Grace-Hayley Westenra)

文章標籤

伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

 

 

‎ 「‎‎翼をください‎‎」は、元々日本のフォークグループの「赤い鳥」が1970年代に演唱した楽曲ですが、曲調が優れていることから、その後国内外の多くの歌手がカバーしています。 ‎
‎ その中から、今回は、「ニュージーランドの歌姫」「癒しの歌姫」「史上最年少のユニセフ親善大使」ことヘイリー・ウェステンラ(Hayley Westenra、1987年4月10日 - )の英語版「Wings To Fly(空飛ぶ翼)」をご紹介します。‎

 

‎ その前に、ヘイリー・ウェステンラのプロフィールについて整理しておきます。 ‎
‎ 少し長くなりますので、興味のない方は次の囲み部分を飛ばして、楽曲紹介に進んでください。‎

 【ヘイリー・ウェステンラのプロフィール】

 

 ヘイリー・ウェステンラは、日本人の学生が語学研修で訪れることで知られているニュージーランドクライストチャーチ出身のアイルランド系ニュージーランド人です。

 日本では米語読みの「ヘイリー」の名義で活動しますが、ニュージーランドでは、「ハイリー」に近い発音です。

 

 彼女は1987年生まれで、祖母は歌手、母方の祖父はピアニストという音楽好きの一家に育ちました。

 6歳の時に学校のクリスマス会で歌を歌った時に、彼女が絶対音感の持ち主であることに気づいた教師に薦められて、ヴァイオリンやピアノ、リコーダーを習い始め、やがて発声練習も本格的に始める傍ら、ジャズダンスやバレエなども習得して、11歳までにミュージカルの舞台を40回以上務めています。

 

 12歳の時に家族と友人に配布する目的でデモ・アルバム『Walking in the Air』を録音し、1000部を制作し、この録音を終えた後、妹と一緒にクライストチャーチの路上でパフォーマンスを行ったところ、多くの群集に取り囲まれそれを目にしたカンタベリー・テレビ (CTV) の記者から番組への出演申し出を受けたことがプロへの道を歩む契機になりました。

 

 そして、14歳になったばかりの2001年4月26日に自身の名を冠したアルバム「Hayley Westenra」を発表して念願のプロデビューを果たしています。

 

 ヘイリーの名が国際的に知られるようになったのは2003年7月10日に、クラシックの楽曲やポップス、マオリの伝承歌のほか、ジョージ・マーティンの書き下ろし曲などを収録したアルバム『Pure』を発表してからのことです。

 このアルバムのバージョンは、ニュージーランド版のほか、オーストラリア版・イギリス版・アメリカ版・日本版・国際版と様々なバージョンがあり、アメリカ版が翌年4月に発表された他はほぼ世界同時に発表されました。

 このアルバムは、イギリスのクラシック・チャートでは1位、総合チャートで7位、日本でも28位と健闘し、国際的な累計売上は200万枚に達しました。

 この『Pure』に収録されている「Amazing Grace(アメイジング・グレイス)」が、日本のフジテレビ開局45周年記念テレビドラマ『白い巨塔』(放送期間:2003年10月9日 - 2004年3月18日) の主題歌に採用されたことから、彼女の名が日本でも知られるようになり、また彼女が日本に興味を持つきっかけとなりました。

 

 その5年後の2008年5月に日本で自身初のシングル盤「アメイジング・グレイス2008」を発表しました。

 これは3年前に白血病で亡くなった日本の歌手本田美奈子.の残した音源との仮想的なデュエットによるバージョンです。

 2008年6月3日には『NHK歌謡コンサート』に洋楽歌手として初めて出演し、本田美奈子の2004年のライブ映像をバックにこの“デュエット”版による歌唱を披露しました。

 そして、翌6月4日にはこの「アメイジング・グレイス」に加え日本のポップスのカバーを収録したアルバム『Hayley Sings Japanese Songs(邦題:純~21歳の出会い)』を発表しています。

 

 このアルバムには、日本の歌の美しさをはじめて知ったヘイリーが自ら選んだ日本のポップス12曲が収録されています。

‎ 。 「アメイジング・グレイス」の一部とボーナス・トラックの「白い色は恋人の色」ではきれいな日本語による演唱を披露していますが、その他の曲は、英語の訳詞になっています。 この英訳の大半は、ヘイリー自身が「癒しの歌姫」としての自らの世界観に合うように意訳したものです。‎

 『Wings To Fly(翼をください)』は、このアルバムの8曲目に収録されています。

 

 また、翌2009年9月1日には『 HAYLEY sings JAPANESE SONGS 2(邦題:絆)』を発表しています。

 

 更に、ヘイリーはデビュー前からチャリティー活動に積極的に参加しており、その実績が評価されて、2003年には16歳で史上最年少の「ユニセフ親善大使」に任命されています。

 その後、アフリカを始め世界各国で困難な状況に置かれている子どもたちのために、精力的に活動を続けています。

 

 2009年3月には、コンサートツァーの為に来日した折にも、ツァーに先立つ3月10日に東京の児童養護施設星美ホームでのチャリティーイベントの参加し、4月5日に全国15箇所でのコンサートを終えて帰国前には日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会)を訪問して意見交換をしています。

 
 歌手の紹介の方が長くなりましたが、以下、楽曲「Wings To Fly(翼をください)」について、簡単にご紹介します。

 

 ヘイリーの歌う「Wings To Fly(直訳:空飛ぶ翼)」は、曲については村井邦彦の原曲と同じですが、歌詞については山上路夫の原詞をヘイリー自身が自らの世界観に合うように翻案して英訳したものです。

 

‎ 1970年に山上路夫が書いた原詞は、学園紛争や安保闘争、更にはベトナム反戦運動などの事件が連続する前途の見えない暗い世相を反映して、悩み多く閉塞感に苛まれる一人の若者の立場で、「悲しみのない自由な空へ行きたい」と詠ずる現実逃避的な楽曲でした。 ‎
‎ この楽曲が音楽教科書にも採用されたのは、1970年代後半に教科書出版社の一つである教育芸術社の橋本 祥路(はしもと しょうじ、1948年1月13日 - )が、当時合唱曲としてはクラッシックが殆どであった教科書を「皆が歌えて、楽しめる合唱曲集」にしようと考えて、フォークソングの中から曲調がよく、歌詞も見方によっては大空をイメージして将来への希望を詠じていると解せないこともないことから、この楽曲を選定したことによります。‎

 

‎ 2008年6月4日に発表したヘイリーの「Wings To Fly(空飛ぶ翼)」は、山上路夫の原詞とは大きく次の2点が異なっています。 ‎
‎ 先ず1点は、登場人物が原詞に見える孤独な自分一人だけではなく、「あなたと私」の二人になっています。 ‎
‎ 次に最大の変更点は、原詞の個人的で厭世的な詩風から、恋人或いは友人への純愛歌に変更しています。 ‎
‎ この歌詞の翻案・翻訳は、当時21歳のヘイリー自身が行っています。 ‎
‎ ‎
‎ 「癒しの歌姫」ヘイリー・ウェステンラの人生観・世界観をよく表現した1曲、本人の演唱でご紹介します。‎

 

 

 Wings To Fly
 翼をください
 請給我一雙翅膀

 

I, I have a dream
A dream of you and me
We're flying high above
We're soaring over sea

私には、私には夢がある
それはあなたと私二人の夢
私達は大空高く飛んで行く
私達は海を越えて舞い上がる

我、我有一個願望
一個屬于你和我的願望
我們一起展翅高飛
越過海洋

 

Bless me, with some wings
For I, so want to fly
These precious white wings,
Will take me soaring high

翼を与えて祝福してください
空飛ぶことを切望するこの私のために
その貴重な白い翼は
私を空高く舞い上げてくれるでしょう

希望我能得到一雙翅膀
對我而言,我是多麼渴望飛翔
這雙聖潔的翅膀
將會引領我一飛沖天

<サビ節>

‎その日を照らす太陽へ‎

‎(翼はく立井、つばはくささ)‎

‎漂う雲に、‎

‎そうして初めて私は自由になるだろう‎

‎街の明かりとヘイズを過ぎて‎

‎秋の木々が燃え上がる‎

‎空の中で、私は本当に自由です、‎

昼間を明るく照らす太陽の傍へ

(翼をください、翼をください)

また、漂い去って行く雲の傍へ飛んで行く

ただそれだけで私は自由になれる

光りに溢れ或いは靄に霞む街を通り過ぎ

空に聳(そび)えて輝く秋の木々を通り抜ける時

私は真実の自由を得る

‎日を照らす太陽に向かって飛ぶ‎

‎(翼を1足、‎
‎翼を1組ください) 雲が舞い上‎



‎がり、そのときだけ、私は、秋の燃える森を通り抜けて、街中を懞懞し、霧を懞懞し、空を自由に過ごしました‎
 

Just you and me
ただあなたと二人だけで 
只有你和我   

 

(間奏)

 

‎I, I have a dream‎
‎ We're high, above the trees‎
‎ The wind is in my hair,‎
‎ The ocean breeze takes me‎

‎ ‎‎私には、私には夢がある ‎
‎ 私たちが木の上高く舞い上がり‎
‎ 風が私の髪を吹き抜け ‎
‎ 大海のそよ風が私を抱きしめてくれる夢が‎

‎ ‎‎我、我有一個願望‎
‎ 我們飛過樹林‎
‎ 清風拂過我的頭髮‎
‎ 海洋的和風引領我前進‎
‎ ‎

 

‎Tell me, what can I do? ‎
‎ To earn, earn me some wings? ‎
‎ Some precious white wings,‎
‎ To help me live my dreams‎

‎ ‎‎教えて欲しい 私はどうすればよいのでしょうか? ‎
‎ 翼を得るためにどうすればよいのでしょうか? ‎
‎ 貴重な白い翼を得るために‎
‎ 私の夢をかなえてくれる翼を得るために…‎
‎ ‎
‎ ‎‎告訴我,我可以做什麼‎
‎ 是給我一雙翅膀嗎‎
‎ 這雙聖潔的翅膀‎
‎ 將會激勵我為理想而生存‎

<サビ節2回繰り返し>

Just you and me
ただあなたと二人だけで 
只有你和我 

<サビ節2回繰り返し>

Just you and me
ただあなたと二人だけで 
只有你和我 

 

‎ (Tsubasa wo kudasai, tsubasa wo kudasai…~) ‎
‎ ‎‎(翼をください、翼をください~)‎
‎ ‎‎(請給我一雙翅膀、請給我一雙翅膀~)‎

 

 


Wings to Fly by Hayley Westenra (翼をください)

文章標籤

伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

Close

您尚未登入,將以訪客身份留言。亦可以上方服務帳號登入留言

請輸入暱稱 ( 最多顯示 6 個中文字元 )

請輸入標題 ( 最多顯示 9 個中文字元 )

請輸入內容 ( 最多 140 個中文字元 )

reload

請輸入左方認證碼:

看不懂,換張圖

請輸入驗證碼