目前分類:坂本九 (2)

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 「見上げてごらん夜の星を」(みあげてごらんよるのほしを)は、1960年に初演された同名ミュージカルの劇中主題歌として、作詞は永六輔、作曲はいずみたくが担当してコーラス用に作られた楽曲です。
 その3年後の1963年、この舞台を見た日本の歌手坂本九が「ぜひ自分にもやらせてほしい。」と永六輔に懇願し、主役を務めるとともに、この曲をカバーして1963年5月1日に、シングルレコードとして発表して大ヒットとなりました。

 

 坂本はミュージカルの再演と後に公開された同名映画でも夜学生を主演し、地方から東京へ集団就職し定時制高校に通っていた生徒たちは、この名曲に励まされたといいいます。
 なお、いずみたくによると同曲はレコードで聴くというよりは自分でなんとなく口ずさんでしまいたくなる曲であり、ヒットの割りにはレコードはあまり売れなかったと語っています。

 

 坂本は本楽曲で1963年末の「第14回NHK紅白歌合戦」に3回目の出場を果たし、その時は感極まり目をつむって熱唱しました。
 また、1969年の「第20回NHK紅白歌合戦」でも坂本によって歌唱されています。

 

 坂本 九〔さかもと きゅう、本名は大島 九(おおしま ひさし)、愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)〕は、 1985年8月12日、大阪で立候補した友人(元マネージャー)の選挙応援に行く途中、搭乗した羽田発伊丹行きの日本航空123便墜落事故により、群馬県多野郡上野村の高天原山の通称「御巣鷹の尾根」(おすたかのおね)で43歳の生涯を閉じました。
 坂本は本来、国内移動には日本航空(JAL)ではなく必ず全日空(ANA)を使っており、所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していました。
 しかし、当日は偶々全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した立候補者側が準備できた日本航空に仕方なく乗り合わせて事故に遭遇しました。

 

 坂本の本名「九」は、父親の第9子(後妻であった実母にとっては3番目)として誕生したことにより名付けられたものです。
 「御巣鷹の尾根」で坂本の遺体が発見された時間が墜落から99時間後、棺番号が333、司会を務めていたクイズ番組は99回で放送終了、北海道で放送されていた福祉番組サンデー九は9年間務めあげて終了と、偶然にも9という数字が重なっていました。
 また、後に、永六輔は滞在していた北海道から坂本の法事に向かおうとしたところ、偶然隣りに座った女性の夫が医師で坂本の検死をしたと打ち明けられ、坂本の法事に出席するまで鳥肌が止まらなかったと語っています。

 

 

見上げてごらん夜の星を  仰望夜星空
                                                  原唱:坂本九
見上げてごらん 夜の星を         仰望著看 晚上的星星
小さな星の 小さな光が          微小的星星的 渺小的光芒
ささやかな幸せを うたってる      細細地唱著 微小的幸福

 

見上げてごらん 夜の星を        仰望著看 晚上的星星
ぼくらのように 名もない星が      像我們 無名的星星
ささやかな幸せを 祈ってる       祈禱著 微小的幸福

 

手をつなごう ぼくと            攜手我們
追いかけよう 夢を            追求夢想吧
二人なら 苦しくなんかないさ      只要兩個人 就不會辛苦了

 

見上げてごらん 夜の星を        仰望著看 晚上的星星
小さな星の 小さな光が         微小的星星的 渺小的光芒
ささやかな幸せを うたってる      細細地唱著 微小的幸福

 

見上げてごらん 夜の星を       仰望著看 晚上的星星
ぼくらのように 名もない星が     像我們 無名的星星
ささやかな幸せを 祈ってる      祈禱著 微小的幸福

 

 

 

 

 

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 【香川県大川郡志度町(現さぬき市)にある高徳線志度駅の1965年頃の風景】

 

 『明日があるさ』(あしたがあるさ)は、作詞は青島幸男、作曲・編曲は中村八大で、1963年12月1日に坂本 九(さかもと きゅう、1941年12月10日 - 1985年8月12日)の演唱によるシングル盤で発売された日本の楽曲です。

 

 歌詞の内容は、意中の女子生徒に恋心を抱きながらも、それを打ち明けられない内気な男子生徒が「今日は駄目でもまた明日がある。」と主張する前向きな姿勢をコミカルに詠じたものです。

 

 この楽曲は、日本テレビで放送された坂本主演のバラエティ番組『夢をそだてよう』(1963年11月7日~1964年4月16日)や『明日があるさ』(1964年2月3日~同年11月4日)の主題歌としても採用されて人気を博し、当時80万枚以上のセールスを記録するヒット作となりました。

 

 今日良いことのあった方には明日も良いことのあるように、そうでなかった方には明日こそは良いことのあるようにと願って坂本九の原唱でご紹介します。

 

 

明日(あした)があるさ
有明天喔

                    
作詞:青島幸男 作曲:中村八大 演唱:坂本九 
いつもの駅で いつも逢う
セーラー服の お下げ髪
もうくる頃 もうくる頃
今日も待ちぼうけ
明日がある 明日がある
明日があるさ

在平時的車站 總是見
穿水手服的 髮辮的女子學生
已經來的時候 已經來的時候
今天也白等
有明天 有明天
有明天喔

 

ぬれてるあの娘 コウモリへ
さそってあげよと 待っている
声かけよう 声かけよう
だまって見てる僕
明日がある 明日がある
明日があるさ

向蝙蝠傘中 濡濕著的那個她
邀的話 等候著
打招呼 打招呼
試著沉默的我
有明天 有明天
有明天喔

 

今日こそはと 待ちうけて
うしろ姿を つけて行く
あの角まで あの角まで
今日はもうヤメタ
明日がある 明日がある
明日があるさ

正是今天搭話等待
她的後影追趕
到那個街角 到那個街角
已經辭去了今天
有明天 有明天
有明天喔

 

思いきって ダイアルを
ふるえる指で 廻したよ
ベルがなるよ ベルがなるよ
出るまで待てぬ僕
明日がある 明日がある
明日があるさ

下決心電話的刻度盤
用顫動的手指回下面
鈴響喔 鈴響喔
到妳接電話不能等的我
有明天 有明天
有明天喔

 

はじめて行った 喫茶店
たった一言 「好きです」と
ここまで出て ここまで出て
とうとう言えぬ僕
明日がある 明日がある
明日があるさ

第一次去的咖啡店
只一句話「喜歡妳」
到這喉裡出 到這喉裡出
終於不能說的我
有明天 有明天
有明天喔

 

明日があるさ 明日(あす)がある
若い僕には 夢がある
いつかきっと いつかきっと
わかってくれるだろう
明日がある 明日がある
明日があるさ

有明天喔 有明天
年輕的我有夢
不知不覺一定 不知不覺一定
她會明白
有明天 有明天
有明天喔

 

 


坂本九 明日があるさ

 

 


坂本九 明日があるさ

 

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