目前分類:パティ・ペイジ (4)

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 「Changing partners」(チェインジング パートナーズ:交換舞伴)は、アメリカの女歌手パティ・ペイジ(Patti Page、本名:Clara Ann Fowler、1927年11月8日 - 2013年1月1日)が、1953年9月21日に録音して、同年11月28日に発表した楽曲です。

 

 作曲はラリー・コールマン(Larry Coleman、黒人、詳細不詳)、作詞はジョー・ダリオン(Joe Darion、1911年1月30日ー2001年6月6日)が担当しています。
 この楽曲は、1953年9月にパティ・ペイジが最初に録音していますが、その直後のほぼ同じ時期にダイナ・ショア(Dinah Shore、1916年2月29日 - 1994年2月24日)、ケイ・スター(Catherine Laverne Starks、1922年7月21日 – 2016年11月3日)、ビング・クロスビー(Bing Crosby、1903年5月3日 - 1977年10月14日)が録音して、年末から翌年の年始にかけて発表していますが、最もヒットしたのはパティ・ペイジの初出版です。

 

 歌詞の内容は、ダンスパーティーに参加した乙女が、偶然パートナーとなった若者に恋心を抱きますが、このパーティーはパートナーを交替する方式であったようで、心ならずも離れ離れになってしまった寂しさから、再び彼と巡りあうことを期待して次々とパートナーを変えて踊り続けるという、乙女の切なくも一途な心情を詠じたものです。

 

 パティ・ペイジ最大のヒット曲テネシーワルツが過去の思い出を詠ずるものであることから彼女は晩年まで演唱していたのに対し、この楽曲は若者の現在進行形の曲であり年寄りが歌うと違和感があるため彼女は若いときしか演唱していません。

 

 なお、この楽曲は日本で発表された時には「君待つワルツ」という邦題が付けられていましたが、この邦題では「君が待つ」のか「君を待つ」のか不明確で、しかも詞中に「wait」(待つ)の詞語はなく乙女は彼を待っているのではなく探しているのが実情ですので、あまり適切な邦題とは言えません。

 

 今回は、若かりし日のパティ・ペイジの演唱でご紹介します。

 

 

Changing partners 
チェインジング パートナーズ  
                      Patti Page
                      パティ・ペイジ
We were waltzing together to a dreamy melody
When they called out "Change partners"
And you waltzed away from me
Now my arms feel so empty as I gaze around the floor
And I'll keep on changing partners
Till I hold you once more

私たちは夢のようなメロディーに合わせてワルツを踊っていたの
そのとき、「パートナーを交替してください」と呼びかける声が聞こえたの
そして貴方はワルツを踊りながら私の許から去って行ってしまった
私はダンスフロアを眺めまわしながら、今両腕の中が空っぽになった寂しさを感じている
そして私はこれからパートナーを替え続けるわ
貴方にもう一度巡りあうまで

 

Though we danced for one moment 
And too soon we had to part
In that wonderful moment
Something happened to my heart
So I'll keep changing partners
Till you're in my arms
And then Oh, my darling
I will never change partners again 

私たちがダンスを踊っていたのはとても短い間だったのに
離れ離れになるのはとても早すぎたわ
二人で踊っていたその素敵な瞬間に
突然何かが私の心の中に芽生えたの
だから私はこれからもパートナーを替え続けるわ
あなたが私の両腕の中に戻って來るまで
そしてあなたが戻って来たなら、あ~、私の愛しい人よ
私は決して二度とパートナーを替えたりなんかしないわ

 

 


Patti Page - "Changing Partners" (1950s)

 

 

  交換舞伴     
                    佩蒂佩姬
在夢幻的旋律中,我倆共舞著華爾滋
當他們喊著"交換舞伴!"
你舞著華爾滋離我而去
我的懷裡感到如此空虛,當我凝視著地面
我會不斷的交換舞伴
直到我再次擁著你

 

雖然,我們只共舞一剎那 *1
很快就要分開
在那美妙的時刻裡
我的心裡有些感觸
所以,我會不斷的交換舞伴
直到你又在我懷裡
然後,親愛的
我再也不願交換舞伴 *2

 

(間奏)

 

*1~*2 再唱

 

 


《Changing Partners》《交換舞伴》

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 「テネシーワルツ」(Tennessee Waltz,The Tennessee Waltz)は、1946年にピー・ウィー・キングが作曲した曲に、レッド・スチュワートが詞をつけた楽曲で、1948年1月にゴールデン・ウエスト・カウボーイズが発表し、その直後の3月には元ゴールデン・ウエスト・カウボーイズのメンバーであったカウボーイ・コパズがカバーして、いずれもヒットチャート上位を獲得しました。

 

 その2年後の1950年になってパティ・ペイジ(Patti Page、本名:Clara Ann Fowler、1927年11月8日 - 2013年1月1日)が一人三重唱でカバーしたものが600万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
 1965年にテネシー州はこの曲を公式に第4の州歌としています。

 

 パティ・ペイジはアメリカ合衆国オクラホマ州の出身で、本名はクララ・アン・フォウラーといいます。
 クララは18歳の時、地元の高校を卒業して実家の近くにあるラジオ局に事務員として就職しました。

 

 当時このラジオ局の15分番組で、「パティーという名の少女が旅をしながら行く先々で歌を歌う」という趣向の番組が放送されていました。
 主役のパティーを演じて歌を歌っていたのは、勿論プロの女歌手でしたが、偶々この歌手が急病を発症して番組に出られないという事態が発生しました。
 当然ながら、当時の放送は生放送ですので、慌てたプロデューサーが急遽局内で代役にできる女子を探したところ、声が好く歌の上手い新入社員のクララに白羽の矢が立ちました。
 主役である以上、芸名が必要でしたが、余りにも突然のことで何も考えていなかったクララは、役名の「パティー」とこの番組のスポンサー名の「ペイジ乳業株式会社」を組み合わせて、「パティ・ペイジ」という間に合わせの芸名を名乗ることにしました。
 その後、60年以上に亘って終生歌手活動を続け数多くのヒット曲に恵まれて、誰からも敬愛されるアメリカを代表する国民的歌手に成長するパティ・ペイジ誕生の瞬間でした。

 

 これを契機にプロ歌手としてデビューしたパティ・ペイジは、1948年に「Confess」というデュエット曲を発表しますが、他の歌手を起用するだけの予算が不足していたパティは、一人で二人分のパートを二重録音してレコードを完成しました。
 このやり方が気に入ったパティは、その後も一人で二重唱から四重唱に至るまでの多重録音の楽曲を発表しましたが、目新しさも手伝って多くの曲がヒットしました。

 

 中でも、今回ご紹介する一人三重唱の「テネシーワルツ」は、カバー曲であるにも拘らず、原唱を遙かに凌ぐマルチミリオンヒットとなりました。

 

 なお、この楽曲は元々、男が歌う男の曲です。
 男の曲としての歌詞の内容は、「恋人(女)とテネシーワルツを踊っていたら、偶々古い友達(男)に再会した。そこで、自分の恋人を紹介したら、なんと、その友達に恋人を盗まれてしまった。」というようなものです。
 しかしながら、原唱のカウボーイズらの歌い方には、じめじめしたものはなく、「いや~あいつにしてやられたよ~ ハッハッハ~」と明るく笑い飛ばすような歌い方です。
 これは、現在でもハンク・ウィリアムズ・ジュニアなど男歌手がカバーする時には同様です。

 

 パティは、これを女の歌に変更して、悲しみと寂しさとを詠ずるアレンジにしています。
 蛇足ながら、日本では男の歌を女が、或いはその逆に女の歌を男がそのまま歌うこともよくありますが、アメリカではそのようなことは滅多にありません。
 英語には男言葉、女言葉の別はありませんので、歌詞の性別を変えるのは簡単です。
 この「テネシーワルツ」では、「古い友達」を表わす代名詞の「him」を「her」に変えるだけで片付けています。
 そのため、男である恋人を「my little(小さく可愛い) darling」と表現するような不自然さは残っています。

 

 また、この楽曲の特徴は、一風変わった「歌中歌」の形式をとっていることです。
 即ち、第一句目で主人公は、バックで演奏されている「テネシーワルツ」の曲に合わせて踊っていることになっていますが、後にも先にも世界中で「テネシーワルツ」という題名の曲はこの一曲だけです。
 つまり、未だ発表されていない曲に合わせて踊っていることになります。
 しかも、主人公は、バックの未発表曲と全く同じ体験をしていることになるという、どう考えても不思議な構成になっています。

 

 「絹の声」と評されたパティ・ペイジ、歌手生活60有余年を経て「麻の声」になるまで、何度も何度もこの楽曲をセルフカバーしていますが、今回は、初出から約10年後の録音でご紹介します。
 初出との変更点は、モノラルからステレオになったことと、詞句の一部「I introduced her to my loved one」の主語「I」を省略して演唱していることです。

 

 アメリカが生んだ国民的大歌手のパティ・ペイジ、6年前の元日に85歳の天寿を全うしました。

 

 

 Tennessee Waltz
                                      Patti Page
I was dancing with my darling to the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
(I) introduced her to my loved one
And while they were dancing
My friend stole my sweetheart from me

 

I remember the night and the Tennessee Waltz
Now I know just how much I have lost
Yes, I lost my little darling
The night they were playing the beautiful Tennessee Waltz

 

 

 テネシーワルツ
                                   パティ・ペイジ
私は愛しいあの人と、テネシーワルツを踊っていた
そのとき偶然古い友達に出合ったの
私は彼女に、私の恋人を紹介したわ
すると 彼と彼女が一緒に踊っているうちに
私の友達は私の最愛の彼を私から盗んでしまった

 

私は、あの夜とあのテネシーワルツを忘れはしないわ
今、私はどれほど大切なものを失ったのかが本当に解ってきたの
そう、私は可愛い恋人を失ったの
楽団が、美しいテネシーワルツを演奏していたあの夜に…

 

 

 田納西華爾滋
                             佩蒂佩姬
我和愛人共舞著一曲田納西華爾滋
當我看見了一位老朋友
我將她介紹給我的愛人
當他們倆共舞時
我的朋友從我身邊偷走了我的甜心

 

我還記得那一夜和田納西華爾滋
如今我才明白我失去了多少
是的,我失去了我的小愛人
在樂隊演奏著美麗的田納西華爾滋的那一夜

 

 筆者注:

 英語原詞の最後の一句に見える「The night they were playing ・・」の主語「 they 」は「彼と彼女」の意とも解せなくはありませんが、伊賀流文脈判断により、ここではテネシーワルツを演奏していた「楽団の奏者」と解釈して翻訳しておきます。

 

 


TENNESSEE WALTZ(田納西華爾滋)

 

 

 おまけ【パティ・ペイジ80歳ごろのライブ演唱です】↓

Patti Page - Tennessee Waltz

 

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 【讃美歌第二百四十三 「たふときわが友」(左頁)】
  
 今回は、前回ご紹介した「Molly Darling(愛しのモーリー:茉莉親愛的)」と曲調が似ているためしばしば混同される「たふときわが友」 (別題:「いつくしみ深き)」、原題:「What A Friend We Have In Jesus」)をご紹介します。
 この楽曲は賛美歌のひとつで、日本でもキリスト教会での結婚式や葬式などでよく歌われています。

 

 「たふときわが友(別訳:いつくしみ深き)」の歌詞と曲とはそれぞれ別々に作られたもので全く無関係なものでしたが、偶然の出来事により両者が組み合わされてこの楽曲は完成しました。
 なお、讃美歌には基本的に題名はなく讃美歌243番のように番号で呼ばれますが、便宜上歌詞の最初の一句を採って「たふときわが友」と称しています。これは、漢詩の中で二千年以上前に作られて、固有の題が不明である古詩十九首の個別の詩の呼び方と同じです。

 

 記事冒頭の画像は、基督教各派が合同で立ち上げた讃美歌委員会が明治33年(1900年)10月に編集して明治36年(1903年)12月26日に発行した本邦初の讃美歌集に楽譜を追加した増補版です。
 この当時は、和訳の歌詞は「たふときわが友」で始まるものでしたが、昭和6年(1931年)に「いつくしみ深き」から始まる別の訳詞も作られて、現在は後者の方が主流になっていますが内容はほぼ同じです。
 なお、この本は伊賀山人の祖母(M16.7.1ーS49.7.1、91歳の誕生日に永眠)が女学校の新米教師のころに教材として使用していたもので、伊賀山人博物院の収蔵品の一つです。

 

 この楽曲の原詩は、アイルランド人のジョセフ・スクライヴェン(Joseph M. Scriven、1819 - 1886)が1844年頃25歳の時にカナダに移住して、その10年後の1854年にアイルランドにいる病気の母親の為に作ったものです。

 

 スクライヴェンは1819年9月10日にアイルランドのシーパトリックに生まれました。
 ダブリンのトリニティ・カレッジを卒業して、文学士の資格を取り何かの事業をしていたようですが1844年頃 25歳の時に結婚式を目前にして破産してしまいました。
 そのことが原因で婚約者と別れることになったスクライヴェンは、キリスト教 プリマス・ブレザレン派の伝道師としてカナダに移住し、オンタリオ州で不幸な人や貧しい人への奉仕活動に一生を捧げました。
 カナダでは新しい婚約者も出来ましたが、彼女がプリマス・ブレザレン派の教理に従って再洗礼をうける ために冬のライス湖に入ったところ風邪をひいてしまい、それをこじらせて死去してしまいました。
 婚約者を二度も失うという悲劇に見舞われたスクライヴェンですが、イエス・キリストへの信頼の気持ちが揺らぐことはなく、その後も貧しい人々や身体の 不自由な人々など社会的弱者救済に熱心に取り組み、宗教活動と詩作の日々を送っていました。

 

 そのような中で、1854年に故郷のアイルランドから母危篤の知らせが届きます。
 しかし、一時期オンタリオ州の學校で教鞭をとって収入を得ていたこともあるスクライヴェンですが、貧しい伝道師としての生活が長かった彼には旅費を工面することができませんでした。
 そこで、涙にくれながら一片の詩を書いて母に贈りました。
 それがこの What a friend we have in Jesus(たふときわが友:いつくしみ深き)です。
 歌詞の内容は、イエスへの信仰により悩みや苦しみを癒そうと呼びかけるものになっています。

 從って、決してお目出度い詩ではないので、あまり結婚式に相応しい讃美歌とは言えません。

 

 作詩当時は一般公開する予定はありませんでしたが、1864年にHasting, Social Hymns,という讃美歌集に匿名で収録しました。
 その後、福音唱歌系の歌集に転載されて、一般の礼拝用歌集にも収録されるようになりました。

 

 その内容に感動した多くの人々がこれに曲を付けたので多くのバージョンが存在しますが、現在最も有名なのはアメリカ人のチャールズ・クローザット・コンヴァース(Charles Crozat Converse 1832年10月7日 - 1918年 10月18日)が作曲したものです。

 

 コンヴァースは、1855年から1859年まで、ドイツに留学してライプツィヒで法律と音楽を学び 、1857年に帰国して1861年にアルバニー法律学校を卒業しています。

 

 その後彼は、アメリカ合衆国の弁護士として成功しています。
 その間、作曲は趣味として携わっていたようですが、教会音楽を中心に交響曲、管弦楽曲、室内楽曲、合唱曲等広範な楽曲を書いています。

 

 コンヴァースは、スクライヴェンの詩とは無関係に1868年に「 Erie (エリー)」という題の曲を書いていますが、この曲は「エリー湖」をテーマにするもので偶然にもスクライヴェンが当時住んでいたオンタリオ州はエリー湖畔の街ですが、二人は面識のない全くの他人でした。またこの曲には歌詞は付けられていませんでした。

 

 コンヴァースがスクライヴェンの詩を知ったのは、「 Erie (エリー)」を作曲して間もなくのことで、当時著名な職業作曲家であった Ira David Sankey (1840-1908)が自身の歌曲集の中にスクライヴェンの詩に曲を付けたものを収録しているのを見た時でした。
 コンヴァースは、この「What a Friend we have in Jesus(たふときわが友)」の詩が自分の書いた「 Erie (エリー)」の曲にピッタリであることに気付き、両者をセットにして1870年にSilver Wings,1870に発表しました。
 その後、Gospel Hymns and Sacred Songs,1875に掲載されて評判となり全米に広まりました。
 この曲がヒットしたことにより、それまで匿名であった作詩者のスクライヴェンの名も世に知られるようになりました。

 

  日本でも1870年代には讃美歌として伝わり教会では演唱されていたものと思いますが、讃美歌として正式に編集されたのは前述のとおり1900年のことでした。

 

 更に日本では、この曲に全く別の歌詞を付けて文部省唱歌に転用しています。
 1910年には「教科統合中学唱歌第2巻」に杉谷代水作詞の「星の界(よ)」、1952年に出版された「小学校用音楽五」には川路柳虹作詞の「星の世界」が 収録されています。
 その他にも、「母君にまさる」その他の題名で母親の情愛を歌った日本語歌詞も複数存在します。

 

 今回は、アメリカの国民的歌手で、「絹の声」と謳われたパティ・ペイジ(Patti Page、本名:Clara Ann Fowler、1927年11月8日 - 2013年1月1日)の演唱でご紹介します。
 なお、この演唱は、録音時間の関係で原詞を少し省略しています。省略部分については、英文歌詞を細字で表記しておきます。

 

 和訳は、本邦初の讃美歌集から「たふときわが友」を引用して、「いつくしみ深き」の方は参考添付にしておきます。なお、原訳詩は変体仮名(筆者注:変体仮名とは明治初期まで使われていたひらがなの一種。現在のひらがなは1音1字に統一されているが、明治初期までは1音に複数のひらがながあった。)で書かれていますが、現行のひらがなに書き換えてご紹介します。

 

 

What a Friend we have in Jesus
たふときわが友 エスキリストは
我們在耶穌裡有多麼的朋友
                                                                             作詞:Joseph M. Scriven(1855)  
                                                                             作曲:Charles C. Converse (1868)
1
 What a Friend we have in Jesus,
  All our sins and griefs to bear!
What a privilege to carry
  Everything to God in prayer!
O what peace we often forfeit,
  O what needless pain we bear,
All because we do not carry
  Everything to God in prayer!

たふときわが友(とも) エスキリストは
つみとがうれひを とりさりたまふ
こゝろの悲歎(なげき)を つゝまずのべて
などかはおろさぬ おへるおもにを

我們在耶穌裡有多麼的朋友,
   我們所有的罪惡和悲傷!
有什麼特權要攜帶
   祈禱的一切都歸於上帝!
我們常常放棄什麼樣的和平,
   我們承受了什麼不必要的痛苦,
因為我們沒有攜帶
   祈禱中的一切都歸於上帝!

 

2
 Have we trials and temptations?
  Is there trouble anywhere?
We should never be discouraged,
  Take it to the Lord in prayer.
Can we find a friend so faithful
  Who will all our sorrows share?
Jesus knows our every weakness,
  Take it to the Lord in prayer.

たふときわがとも エスキリストは
われらのよわきを しりてあはれむ
なやみかなしみに しづめるときも
いのりにこたへて なぐさめたまはん

我們有試煉和誘惑嗎?
   有地方有麻煩嗎?
我們永遠不應氣餒,
   在禱告中把它帶到主面前。
我們能找到一個如此忠誠的朋友嗎?
   我們所有的悲傷都會分享誰?
耶穌知道我們的每一個弱點,
   在禱告中把它帶到主面前。

 

3
 Are we weak and heavy-laden,
  Cumbered with a load of care?
Precious Savior, still our refuge—
  Take it to the Lord in prayer;
Do thy friends despise, forsake thee?
  Take it to the Lord in prayer;
In His arms He’ll take and shield thee,
  Thou wilt find a solace there.

たふときわがとも エスキリストの
ふかきいつくしみ 永久(とは)にかはらず
世(よ)の友(とも)のわれを すてさるときも
いのりにこたへて 憐憫(いたは)りたまはん

我們是弱者還是沉重的,
   多重護理?
珍貴的救主,仍然是我們的避難所 -
   在禱告中把它帶到主面前;
你的朋友鄙視,拋棄你嗎?
   在禱告中把它帶到主面前;
在他的懷裡,他會接受並保護你,
   你會在那裡找到安慰。

 

『讃美歌』(1931年)

五三九 箴言 一八・二四

 

1.

いつくしみ深(ふか)き 友(とも)なるイエスは

つみとが憂(うれ)ひを とり去り給(たま)ふ

こころの悲歎(なげき)を 包(つつ)まずのべて

などかは下(お)ろさぬ おへる重荷(おもに)を

 

2.

いつくしみ深(ふか)き 友(とも)なるイエスは

われらの弱(よわ)きを しりて憐(あは)れむ

惱(なや)みかなしみに 沈(しづ)めるときも

いのりに應(こた)へて 慰(なぐ)さめたまはん

 

3.

いつくしみ深(ふか)き 友(とも)なるイエスは

かはらぬ愛(あい)もて みちびき給(たま)ふ

世(よ)の友(とも)われらを すてさる時(とき)も

いのりに應(こた)へて 勞(いた)はり給(たま)はん

 

底本: 日本基督教団讃美歌委員会編『讃美歌』日本基督教団讃美歌委員会、1954年5月改訂版

 

 


Patti Page - What A Friend We Have In Jesus

 

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伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

 【アメリカ同時多発テロでのユナイテッド93便の墜落現場に設置された仮設の追悼碑】
  (碑文の表題は「Angels of Freedom(自由の天使たち)」と記されている。)

 

"Little Did She Know" (彼女には知る由もなかった)は、アメリカのシンガーソングライターのクリスティー・ジャクソン(Kristy Jackson、1955.8.31-)が2001年にShe'd Kissed A Hero(彼女はヒーローに口づけしたのだった)の副題を付けて発表した楽曲です。

 

 この楽曲は、2001年9月11日に国際テロ組織のアルカイダが引き起こしたアメリカ同時多発テロの際、ハイジャックされた4機の飛行機のうち、唯一、乗客乗員の戦いにより、テロリストの目的(国会議事堂かホワイトハウスの破壊)を阻止した、ニューアーク発サンフランシスコ行のユナイテッド航空93便で、乗客・乗員のリーダーとなってテロリストと戦ったトッド・モーガン・ビーマー(Todd Morgan Beamer、1968.11.24 – 2001.9.11)を始めとして犠牲になった彼らを追悼し、その功績をたたえるために作られたものです。

 

 トッド・M・ビーマーは、アメリカ合衆国カリフォルニア州に本拠を置くソフトウェア会社のオラクル社(Oracle Corporation)で販売促進を担当する営業マンでした。
 彼は、妻と二人の息子と共にニュージャージー州クランベリーに居住していました。
 この事件の日には、顧客のソニー社の代表との会議に出席するためにサンフランシスコ行きのユナイテッド航空93便に搭乗して事件に遭遇してしまいました。

 

 歌詞の中に登場する彼の妻リサ・ブロシアス(Lisa Brosious Beamer、1969.4.10ー)とはウィートン大学(Wheaton College)の同級生で、彼らの初デイトの日が1991年11月2日であったことから、この当時10年目の記念日のお祝いを計画していました。
 また、妻のリサは彼らの3人目の子供を身ごもっており、翌年1月が出産予定でした。

 

 歌詞の中では、機内のビーマーが妻と直接電話により会話する設定になっていますが、実際は彼が使った機内電話はカスタマーセンターに転送されたため、彼が話したのは偶然同じ名前のリサでしたが、GTE機内電話サービス会社の電話監督者のリサ・ジェファーソン(Lisa Jefferson)でした。 
 ビーマーはジェファーソンに "If I don't make it, please call my family and let them know how much I love them." (私が電話できなかったら、私の家族に電話して、私がどれほど彼らを愛しているかを知らせてください。」と要請しました。
 その直後、ジェファーソンは機上の誰かのくぐもった声を聞き、それにビーマーがはっきりした声で "Are you ready? Okay. Let's roll!" (準備はできてるか? 大丈夫。さあやろう!」と答えるのを聞きました。これがビーマーの最後の言葉になりました。

 

筆者注:

「Let's roll.」(さあやろう)とは、100年くらい前からアメリカで使われている俗語で、「Let's go.」(さあ行こう)或いは「Let's begin.」(さあ始めよう)を強調する用法です。「roll」が「転がり込む」「なだれ込む」という勢いを表わす動詞ですので、使い方としては、例えば刑事が犯人の立てこもる家のドアーを蹴破って転がり込む直前に使用されます。

 一般人がこの言葉を使うことは滅多にありませんが、ビーマーは少年ソフトボールの監督もしていましたので、とっさにこの言葉が出たのかもしれません。いずれにしても、この時のビーマーの覚悟の程が窺われる一句となっています。

 この「Let's roll.」(さあやろう)は、この後展開されたアメリカによるアルカイダ掃討作戦において、米軍兵士の合言葉にもなりました。また、この事件を題材にした映画の題名にも使用されています。

 

 この "Little Did She Know" (彼女には知る由もなかった)は、クリスティー・ジャクソンが発表してから、多くの歌手によってカバーされています。

 

 その中から、今回はパティ・ペイジ(Patti Page、本名:Clara Ann Fowler、1927年11月8日 - 2013年1月1日)の演唱でご紹介します。
 1950年のテネシーワルツの大ヒットから58年、2008年に発表したアルバム「Best Country Songs」に収録しているカバー版です。
 「絹の声」と称されたパティ・ペイジ、御年81歳で「麻の声」となって若い時以上に情感豊かに演唱しています。

 

 

Little Did She Know
彼女には知る由もなかった
她一點都不知道 

 

He found some socks
She choose his tie
When he left for work that mornig
He was just another guy
Going to work
He'd have to fly
Out to a meeting in L.A
So she had kissed him twice goodbye

彼は何足かの靴下を探し出した。
彼女は彼のネクタイを選んだ。
その朝彼が仕事に行こうとしているとき
彼はまるで別人だった。
彼は仕事に行くため
飛行機に乗らねばならなかった。
ロサンゼルスでの会議に行くため。
そこで彼女は彼に2回さようならのキスをした。

他找到了一些襪子,
她選擇了領帶。
那天早上他去上班時,
他只是另一個人。
他必須上飛機
去洛杉磯開會,
所以她吻了他兩次道別

 

Little did she know she'd kissed a hero
Though he'd always been one in her eyes
But when faced with certain death
He said a prayer and took a breath
And led an army of true angels in the sky
Little did she know she'd kissed a hero
Though he'd always been an angel in her eyes
Putting others first its true..
Thats what heroes always do
And now he doesnt need a pair of wings..to fly

彼女には知る由もなかった。彼女がキスした相手は一人のヒーローであったことを。
彼女の目には彼はいつでもヒーローとして映っていたにもかかわらず。
しかし、確実な死に直面したとき、
彼は祈りをささげ、息をのみ、
そして、その大空の中で真の天使の軍団を指揮した。
彼女には知る由もなかった。彼女がキスした相手が一人のヒーローであったことを。
彼女の目には彼はいつでも天使として映っていたにもかかわらず。
他人のことを第一に考えるということは、真に…
ヒーローたちが常に行うやりかたである。
そして今、彼に双翼は不要となった…空飛ぶための双翼は。

她幾乎不知道自己曾親吻過一個英雄。
儘管他一直是她的英雄。
但是當面臨一定的死亡時,
他說了祈禱,深吸了一口氣,
並帶領一支由真天使組成的大軍在空中。
她幾乎不知道自己曾親吻過一個英雄。
儘管他一直是她眼中的天使。
首先將別人的本來面目..
這就是英雄們一直在做的事情。
現在,他不需要一對翅膀..爲飛舞

 

The phone had rung
His voice was calm
Before he could tell her anything
She knew something was wrong
"I Love You So"..
Last words he said
She said "I Love You Too"..
Then the phone went dead

電話が鳴った。
彼の声は落ち着いていた。
彼が何かを話す前に
彼女は何か悪いことが起こったと分っていた。
 "I Love You So" ..
それが彼の最後の言葉だった。
彼女は" I Love You Too "..と言った。
そして電話は途切れた。

電話響了。
他的聲音情緒很平靜。
在他能告訴她任何事情之前。
她知道某事是不對的。
“我愛你如此。”
最後一句話他說。
她說“我也愛你”。
然後電話壞了。

 

Little did she know she'd kissed a hero
Though he'd always been one in her eyes
But when faced with certain deaths
He'd said a prayer and take a breath
And led an army of true angels in the sky
Little did she know she'd kissed a hero
Though he'd always been an angel in her eyes
Putting others first its true
Thats what heroes always do
And now he doesnt need a pair of wings to fly

彼女には知る由もなかった。彼女がキスした相手は一人のヒーローであったことを。
彼女の目には彼はいつでもヒーローとして映っていたにもかかわらず。
しかし、確実な死に直面したとき、
彼は祈りをささげ、息をのみ、
そして、その大空の中で真の天使の軍団を指揮した。
彼女には知る由もなかった。彼女がキスした相手が一人のヒーローであったことを。
彼女の目には彼はいつでも天使として映っていたにもかかわらず。
他人のことを第一に考えるということは、真に…
ヒーローたちが常に行うやりかたである。
そして今、彼に双翼は不要となった…空飛ぶための双翼は。

她幾乎不知道自己曾親吻過一個英雄。
儘管他一直是她的英雄。
但是當面臨一定的死亡時,
他說了祈禱,深吸了一口氣,
並帶領一支由真天使組成的大軍在空中。
她幾乎不知道自己曾親吻過一個英雄。
儘管他一直是她眼中的天使。
首先將別人的本來面目..
這就是英雄們一直在做的事情。
現在,他不需要一對翅膀..爲飛舞

 

Now he doesnt need pair of wings...to fly 
今彼に双翼は必要ない...天使となって空飛ぶための双翼は…
現在他不需要雙翼了..爲飛舞

 

 

 

 

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