『里の秋』(さとのあき)は、終戦直後の1945年(昭和20年)12月24日、JOAK(現・NHK第1放送)のラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で発表された童謡です。
このラジオ番組は、復員兵や引き揚げ者たちを励ますために日本放送協会(NHK)が企画したもので、その中で流す歌の制作を児童合唱団「音羽ゆりかご会」の主宰者でもある童謡作曲家の海沼実に依頼しました。
放送日は、12月24日と決められましたが、海沼のもとに曲の依頼があったのは、そのわずか1週間前でした。
焦った海沼は、何か適当な詞はないかと、古い童謡雑誌を引っ張り出して次々と調べていきました。
その彼の目にとまったのが、旧知の斎藤信夫作『星月夜』(ほしづきよ)という童謡でした。
斎藤信夫は、戦前から小学校教師を勤める傍ら、童謡の作詞に意を注ぎ、その作品数は生涯で一万点以上と言われています。
『星月夜』は、斎藤信夫が国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月の開戦直後に作詞したもので、1番から4番までの歌詞で幼い男の子が父親への思いを述べる内容になっていました。
1番で幼い息子が母親と故郷で過ごす様子を描き、2番で南の島にいる父親を思う内容ですが、3番で南の戦線で戦う父親の武運を願い、4番では自分も将来兵隊になって国を護るとの気概を詠じたもので、そのままでは終戦による復員兵などを励ます歌にはなりませんでした。
このため、海沼は斎藤に3番と4番の歌詞の修正を依頼しました。
快く引き受けた斎藤でしたが、開戦直後の戦意高揚のために書いた詞を敗戦直後の無事復員を願う詞に書き換えることは容易ではなく、漸く新しく3番だけを書き上げたのは、放送前日の夜中のことでした。
こうして完成したこの楽曲は、1番2番は「星の夜」を「星の空」と書き換えたものの故郷にいる母子の様子を描いた元の詞のままですが、3番は南方戦線で終戦を迎えた父親の無事な復員を願う母子の思いを表現するものとして生まれ変わりました。
翌朝、斎藤はこの詞を持ってNHKに駆けつけ、童謡歌手の川田正子を連れて待ちかまえていた海沼に渡しました。
題名は、海沼の注文で『里の秋』と変えられました。
曲はすでにできていたので、海沼は正子に詞を渡して即席で練習させたあと、放送に臨みました。
昭和20年12月24日午後1時45分から始まった放送は、正子が歌い終えると「スタジオ内はシーンと静まり返り、その場にいた全員が心が浄化されるのを感じた」と、放送に立ち会ったあるスタッフは語っています。
放送が終わったとたん、局内の電話がいっせいに鳴りだし、翌日以降も、電話による問い合わせや感想の手紙が殺到しました。
一つの歌にこれほどの反響があったのは、NHKでも初めてのことでありました。
なお、この曲は元々男の子の曲でしたが、当時小学5年生11歳の童謡歌手川田正子が歌ったことから、後世、どちらかというと父親を思う幼い娘の心境を詠じたものとして世上に認識されています。
この詞の中に見える「背戸(せど)」とは、「家の裏口」のことですが、転じて「家の後ろの方、裏手」を指すこともあります。
この詞では「お背戸に木の実の落ちる夜」と表現していますが、「お背戸」を「家の裏口」と解して、「裏口に木の実が落ちる夜」としたのでは意味をなしません。
ここでいう「お背戸」は、「家の後ろの方」の「裏山(里山)」を指しているものと解釈するのが自然です。
「お背戸」と接頭辞の「お」を付けて背戸を丁寧に表現しているのは、当時の裏山からは木の実やキノコなどの食糧や薪などの燃料が得られる有難い場所であったからに他なりません。
当時、上掲画像に見えるように平地には出来るだけ田畑を作り、家屋はその周辺の里山に接する場所に建てられていて、背戸が裏山への出入り口であったこととも符合します。
筆者注:
蛇足ながら、画像中に見える彼岸花は、その根に毒素を含んでいるので害虫や害獣に荒されることがありません。
根の毒素は水で晒すことにより抜くことができて、毒抜き後は食用になることから、昔から飢饉に備える非常用糧食として家屋の周辺や田畑の畦道などで栽培されたものです。
彼岸花は、繁殖力が弱く山野に自生するものは殆どありません。
人の住んでいないような山奥で彼岸花を見つけた時には、昔その周辺に人家があったと考えてほぼ間違いありません。
なお、この「お背戸に木の実の落ちる夜は」との句は、盛唐の詩人王維作の五言律詩「秋夜獨坐」に見える「雨中山果落 燈下草虫鳴〔 雨中に山果(さんか)は落ち 灯下(とうか)に草虫は鳴く 〕」の句と軌を一にするもので、非常に微かな音が聞こえたと詠ずることにより秋の夜の静けさを強調する表現であり、実際に裏山に木の実が落ちる音が聞こえたかどうかは問題ではありません。
今回は、童謡歌手として不動の地位を築いた川田正子のセルフカバー版をご紹介します。
里の秋_川田正子さん
里の秋
故鄉的秋天
詞:斎藤信夫 曲:海沼実
静かな静かな里の秋
お背戸に木の実の落ちる夜は
ああ母さんとただ二人
栗の実煮てますいろりばた
寂靜的,寂靜的,故鄉的秋日
後門外果實掉落的夜晚
啊啊!僅僅和母親兩人
於圍爐邊煮著栗子
あかるいあかるい星の空
鳴き鳴き夜鴨のわたる夜は
ああ父さんのあの笑顔
栗の実たべては思い出す
明亮的,明亮的,星光的夜空
夜鴨鳴叫鳴叫著,飛過的夜晚
啊啊!父親那笑容
吃著栗子的時候就會回想起
さよならさよなら椰子の島
お舟にゆられて帰られる
ああ父さんよご無事でと
今夜も母さんと祈ります
再會,再會,椰子島嶼
於歸途上,船兒搖搖擺擺,
啊啊!父親呀!願您平安健康
今夜也和母親一起祈禱
二胡奏者張濱の演奏版
里の秋 二胡奏者:張濱(Zhang Bin)
秋思
伊賀山人作
秋光十里夜深更
院落唯聞落果聲
夜鴨飛過銀漢上
低頭遙想故人情