目前分類:石原裕次郎 (2)

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「忘れじの瞳」は、日本の俳優であり歌手でもあった石原裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年(昭和9年)12月28日 - 1987年(昭和62年)7月17日)が1963年にEP盤(形状・回転数はシングル盤と同じ、針溝間隔が狭いので収録時間は長いが音量・音質共にやや劣る。)で発表したシングル曲です。
 この曲は、歌詞の中に取り入れている北京語の詞が解りにくかったせいか、裕次郎の曲にしては殆ど売れませんでしたが、その後1974年10月に発売したLP10枚組のアルバム『石原裕次郎の世界』にも収録されています。

 

 この楽曲は、元々1961年に公開された香港映画「不了情」(英文:Love Without End)の中の同名の主題歌が原曲です。

 

 原曲の「不了情」は、 作曲は香港の作曲家莫然 (即王福齡、1925年-1989年)、作詞は同じく香港の作詞家陶秦(1915年-1969年5月16日)で、演唱は香港で活躍した廣州出身の女歌手顧媚(英文名:Carrie Koo Mei;1929年-)が担当して、映画と共に大ヒットとなったものです。

 

 この映画「不了情」公開の2年後に、この曲に日本の作詞家大高 ひさを(おおたか ひさを、1916年(大正5年)3月11日 - 1990年(平成2年)9月2日)が歌詞を付けて「忘れじの瞳」は完成しました。
 歌詞の中には原曲の歌詞を引用している部分もあり、心ならずも別れてしまった恋人を想うという詞想は似通っていますが、原曲が女の立場で詠じているのに対し、裕次郎版は男の立場に変えています。

 

 今回の動画は、石原裕次郎の「忘れじの瞳」と顧媚原唱の「不了情」とを併せてご紹介します。
 なお、詞中に見える「美蘭」(みらん、メイラン)とは別れた恋人の名ですが、あくまでも歌詞の中での設定であり、実在の人物とは関係ありません。

 

 

忘れじの瞳
不能忘記的瞳孔

                      大高ひさを 作詞
                      久慈ひろし 採譜編曲
                      石原裕次郎 演唱
忘不了 忘不了   
花の前髪 夢の唇
海の色より 悲しみ深い 瞳よ

忘不了 忘不了 
象花一樣的前發 象夢一樣的嘴唇
比起海的顏色 悲傷深的 瞳孔

忘不了! 忘不了

忘不了你的錯 忘不了你的好

    テツウオ                  テハアウ  

忘不了雨中的散步 

           イーツオンテサンプウ

也忘不了那風裏的擁抱

              ナホンリイテヨンパアウ

忘れられない! 忘れられない

忘れられないあなたの過ち 忘れられないあなたの優しさ

忘れられない雨の中の散歩

また忘れられないあの風の中での抱擁

救いきれぬ 身の上だから
泪こらえ 別れたけれど
雨の桟橋で 手をふった 美蘭 美蘭
今も忘られぬ いとしの 美蘭 美蘭

因為是不救斷的 境遇所以
眼淚忍耐 分別了,不過
在雨的棧橋 搖手的  美蘭 美蘭
也不被忘記現在的 我想的  美蘭 美蘭

 

(間奏)

 

忘不了 忘不了   
男ごころに 消して消えない
恋の嘆きを 残して遠い 美蘭

忘不了 忘不了
在男人的心中消去也不消失
剩下戀愛的悲嘆 前往遠方的 美蘭

 

(演奏時間 三分五九秒)

 

 

 石原裕次郎の「忘れじの瞳」は、こちら ▼

忘れじの瞳 石原裕次郎

 

 

 顧媚原唱の「不了情」はこちら ▼

顧媚 - 不了情 45RPM 1962

 

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テーマ:
石原裕次郎
 

 

 『わが人生に悔いなし』(わがじんせいにくいなし)は、日本の俳優であり歌手でもあった石原裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〔昭和9年〕12月28日 - 1987年〔昭和62年〕7月17日)が生前最後に録音し、1987年〔昭和62年〕4月21日に最後のレコードとして発表した楽曲です。
  石原は、この楽曲を発表した3箇月後に52歳の若さでこの世を去りました。

 

 石原は、録音当時、末期の肝細胞癌に侵されていましたが、周囲はこのことを本人に告げることはなく、ひた隠しに隠していました。
 しかしながら、病状好転せぬ中で、本人も悟るところがあったようで、作詞家のなかにし礼に、「何か人生に関する歌を書いてくれ。」と依頼し、出来上がった詩に、シンガーソングライターの加藤登紀子が曲を付けてこの楽曲は完成しました。

 

 歌唱の録音は、偶々石原が静養のために訪れていたハワイ州オアフ島のドルフィンスタジオで行われました。
 体調不良のため、録音は遅々として進まず、1987年2月23日から3日間かかりました。

 

 石原の死後、その後を継いで2代目石原プロモーション社長になった俳優の渡哲也は、雑誌の取材で次のように述懐しています。
 「あの歌では、先代(先代社長石原)の本来の声が出ていません。先代のあんな弱々しい声は聞くに堪えません。もし、自分が傍にいたなら、あんな時に歌わせなかったでしょう。」

 

 また、石原の実兄石原慎太郎は、テレビのインタビューで次のように述べています。
 「俺、あの歌、嫌いなんだよ。誰だ? あんなの歌わせたのは。あんなの歌うから裕次郎は早死にしたんだよ。」と。

 

 概して、石原と親密な関係にあった方々には評判のよくない曲ですが、石原が自らの死期を悟り、来し方を振り返りながら最後の力を振り絞って歌い上げた遺言ともいえる一曲です。

 

 「タフガイ」との異名をとり「裕ちゃん」と呼ばれて親しまれた日本を代表する俳優であり歌手でもあった石原裕次郎、先月で没後32年になりました。   

 

 

わが人生に悔いなし    我人生沒有懊悔

                        作詞:なかにし礼 作曲:加藤登紀子

鏡に映る わが顔に         鏡子映出的 我向臉
グラスをあげて 乾杯を      全部乾杯玻璃酒杯
たった一つの 星をたよりに    向來信只一個星
はるばる遠くへ 来たもんだ    是遙遙地到遠方 來
長かろうと 短かかろうと      即使長和即使短都
わが人生に 悔いはない     我人生沒有懊悔

 

この世に歌が あればこそ      如果人世正是有歌
こらえた涙 いくたびか       忍耐的眼淚去的每次嗎
親にもらった 体一つで       是從父母那兒得到的 身體一個
戦い続けた 気持ちよさ       持續作戰的 心情舒暢
右だろうと 左だろうと        不論是右 還是左面
わが人生に 悔いはない     我人生沒有懊悔

 

桜の花の 下で見る        在櫻花的花的 下看
夢にも似てる 人生さ       與夢相似的人生
純で行こうぜ 愛で行こうぜ   純粹地行動生活於愛裡
生きてるかぎりは 青春だ    是就只要活青春
夢だろうと うつつだろうと    不論是夢 還是現實
わが人生に 悔いはない     我人生沒有懊悔

 

わが人生に 悔いはない     我人生沒有懊悔

 

 

 

 

 

 

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