【怒涛逆巻く激流に架かる橋】

 

 漢詩の多く就中絶句は、「起・承・転・結」で構成されています。
 古来、この構成が最も多くの人の心に響くと言われており、他の詩歌や文章などでも起承転結の構成になっているものが少なくありません。

 

 今回は、洋楽の「明日に架ける橋」を一例として考察します。

 

 「明日に架ける橋」は、サイモン&ガーファンクルが1970年に発表した楽曲で献身的友情を詠ったものです。

 

 原題は、”Bridge over Troubled Water”(怒涛逆巻く激流に架かる橋)で「明日」という文言はこの歌詞のどこにもありません。
 当時の日本では、楽曲名に限らず映画の題名などでも邦人受けするものに改変することが普通でしたので、現在でも「明日に架ける橋」として知られています。

 

 以下、英文と和訳を掲載して、考察を進めます。

 

曲名
 ”Bridge Over Troubled Water”
 「逆巻く波に架かる橋」

 

第1節(起)
 When you're weary
 Feeling small
 When tears are in your eyes
 I will dry them all
 I'm on your side
 When times get rough
 And friends just can't be found

君が疲れ果てている時
自分が取るに足らない人間だと感じて
涙が溢れてくる時
僕がそれを乾かしてあげよう
僕は君の味方だよ
辛い時が来て
そして友達が見つからない時にも

 

(サビ1)
 Like a bridge over troubled water
 I will lay me down
 Like a bridge over troubled water
 I will lay me down

逆巻く波の上に架かる橋のように
僕がこの身を捧げよう
逆巻く波の上に架かる橋のように
僕がこの身を捧げよう

 

第2節(承)
 When you're down and out
 When you're on the street
 When evening falls so hard
 I will comfort you
 I'll take your part
 When darkness comes
 And pain is all around

君が零落れ果てている時
君が路上を彷徨う時
とても辛い夕暮れ時には
僕が慰めてあげよう
僕が君の代わりになろう
暗闇が訪れて
周り中を苦痛が取り囲んだ時には

 

(サビ2)(サビ1と同じ)
 Like a bridge over troubled water
 I will lay me down
 Like a bridge over troubled water
 I will lay me down

逆巻く波の上に架かる橋のように
僕がこの身を捧げよう
逆巻く波の上に架かる橋のように
僕がこの身を捧げよう

 

第3節(転・結)
(転)
 Sail on Silver Girl,
 Sail on by
 Your time has come to shine
 All your dreams are on their way
 See how they shine
 If you need a friend
 I'm sailing right behind

帆を上げよう 銀色に輝く少女よ
航海を始めよう
君が輝く時が来た
君の夢の全ては行く手の航路の上にある
君の夢の輝きを見てごらん
もしも友達が必要なら
僕が君のすぐ後を航海している

 

(サビ3)(結)
 Like a bridge over troubled water
 I will ease your mind
 Like a bridge over troubled water
 I will ease your mind

逆巻く波の上に架かる橋のように
僕が君の心を楽にしてあげよう
逆巻く波の上に架かる橋のように
僕が君の心を楽にしてあげよう

 

 

 上掲のように、この詩は3節からなっています。

 

 第1節は、「君が泣く時にはその涙を乾かしてあげよう」と歌い起しており、これは漢詩で言う「起」にあたります。

 

 次の第2節は、第1節を受けて「君が苦しんでいる時には慰めてあげよう」と続けており、漢詩の「承」にあたります。

 

 この二つの節は共に同じサビが付いており、「逆巻く波の上に架かる橋のように”僕がこの身を捧げよう”」と詠い上げています。

 

 最後の第3節は、場面・発想を大きく転換して、「夢に向かって船出しよう」と詠っており、正に漢詩の「転」に相当します。

 一見、「結」が無いように見えますが、実は、第3節のサビが第1・2節のものとは異なり、「逆巻く波の上に架かる橋のように僕が君の心を楽にしてあげよう”」と結んでおり、これが見事に「結」を構成しており、この「結」に示された「激流の上に架かる橋のように僕が君の心を楽にしてあげようという主張が取りも直さずこの詩全体を貫くテーマなのです。

 

 「転・結」を、このような窮屈な作りにしたのは、当時のレコードはドーナツ盤と言われるもので、録音時間は約3分しかなかったため、独立した第4節を付け加えることができなかったことによります。

 

 無条件の自己犠牲と献身的友情とを詠い上げたこの楽曲は世界中のアーティストの共感を得て、無数のカバー曲が発表されました。

 

 中でもエルヴィス・プレスリー(Elvis Aron Presley)のバージョンは、作詞・作曲をしたポール・サイモンをして、
「エルヴィスはこの曲をすばらしく感情込めて歌ってくれた。この歌はこう歌われるべきであるという、まさにそのとおりに」
と言わしめたほど感情豊かにドラマティックに圧倒的な歌唱力で歌い上げた正に圧巻と言えるものです。

追記:

 第3節に見える「Silver girl」との詩句は、分かりにくい表現ですが、ポール・サイモンが後に語ったところによると、彼のガールフレンドで後に妻になるペギー・ハーパーが、自分の頭髪に白髪が何本かあるのを発見して大騒ぎしたのを見て思いついた詩句とのことです。

 つまり、「Silver girl」とは元々は「銀髪の少女」の意ですが、「白髪なんか気にするな」では応援歌としての詩情が浅くなるため、敢えてそれを曖昧にした詩的表現です。

 

 

 「為憤怒濤翻捲的激流架設的橋」

 

第1節
你疲勞不堪時
自己是不足取的人感到
眼淚滿懷時
我弄乾那個
我是你的夥伴
辣時來
又朋友沒向找到時也

 

像翻捲的波浪上面架起橋一樣地
我奉獻這個身體
像翻捲的波浪上面架起橋一樣地
我奉獻這個身體

 

第2節
你下沉從家出來時
你徬徨時路上
非常辣的黃昏向時
我安慰
我成為代替你
黑暗訪問
痛苦向包圍了時周圍中

 

像翻捲的波浪上面架起橋一樣地
我奉獻這個身體
像翻捲的波浪上面架起橋一樣地
我奉獻這個身體

 

第3節
帆提高樣子 在銀色放光的七仙女
開始航海
你放光時來了
你的夢的全部在去路的航線上面
看你的夢的光輝蘭
假使朋友要是必要
我你的馬上在後邊航海著

 

像翻捲的波浪上面架起橋一樣地
我輕鬆你的心
像翻捲的波浪上面架起橋一樣地
我輕鬆你的心

 

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 「An American Trilogy(アメリカの3部作、邦題:アメリカの祈り)」は、アメリカ南部テキサス州ヒューストン生まれのカントリーソング ライターのミッキー ニューベリー(1940.5.19 –  2002.9.29)が、 19 世紀のアメリカの3つの歌をメドレーに編成して、1971年に発表した楽曲です。
 この曲を作った主な目的は、人種差別の撤廃を訴えることにありますが、その説明は別の機会に譲ります。

 

 この曲は、同じくアメリカ南部のミシシッピ州テューペロ生まれのエルヴィス ・ プレスリー(1935.1.8 - 1977.8.16)がカバーして、1973年1月14日、ハワイのホノルル・インターナショナル・センター(HIC)で行なった慈善コンサートで演唱して一躍有名になりました。

 

 「アロハ・フロム・ハワイ」と名付けられたこの慈善コンサートは、当時、報道番組だけに使われていた人工衛星を使い、世界同時生中継された史上最初で恐らくは最後となる巨大ショーです。
 世界約38カ国で放送され、視聴者数は 15億人以上と言われています。
 日本では7時というゴールデンタイムで中継され、視聴率37.8パーセントを叩き出し、アメリカでは33.8%。フィリピン91~92%、香港70~80%、韓国70~80%を記録しました。
 世界に向けて衛星生中継された芸能人は、後にも先にもエルヴィスただ一人だけであり、73年1月14日は「伝説が宇宙から降り注いだ日」と云われています。

 

 このショーでエルヴィスは23曲を熱唱。その大半は他人の曲で、ロックンロールは軽く流し、バラードに力を入れてゴスペル調の張り上げる歌唱スタイルで感動を呼びました。 
 エルヴィスは、この公演を心から喜び、ステージ衣装にはアメリカの象徴であるイーグルを刺繍させるくらい誇りを感じていました。
 貴金属や宝石を散りばめたこのときの衣裳は、ケープとベルトを含めると総重量25キログラムにも及ぶ重いもので、コンサート中、しばしばエルビスがよろめいているのはハワイの暑さのせいだけではないようです。

 

 このショーは、クイ・リー癌基金の慈善コンサートのため入場料はなく、任意の金額を寄付するという形となっており、その収益7万5000ドルが基金に寄付されましたが、史上最大のショーの準備には150万ドルを費やしたと言われています。
 その後、この曲はエルヴィス・プレスリーの70年代を代表する曲となり、彼のコンサートでは常に歌われるようになりました。

 

 「An American Trilogy(邦題:アメリカの祈り)」は、1860年代アメリカの南北戦争当時の3曲『ディキシー(南部の地)』『共和国戦いの讃歌(リパブリック賛歌)』『私の試練』によって構成されており、アメリカの「南部・北部・黒人」の代表曲を一つにした楽曲です。

 

 『ディキシー』は、南部の綿花畑の風景を詠じたもので、南軍の軍歌として使われた曲です。
 『共和国戦いの讃歌』は、直接的には神の栄光をたたえる歌ですが、神の名の下に奴隷解放を戦争目的として進軍する北軍の軍歌です。
 『私の試練』は、黒人奴隷が幼子を残して死ぬ間際に、やっとこれで苦しい試練が終わると詠ずる黒人霊歌です。

 

 人種差別の撤廃と南北アメリカの融和を心から願ってこの歌を歌い続けたエルヴィス・プレスリー、残念ながら1977年8月16日故郷のディキシーランドに42歳の若さで骨を埋めました。

 

 当時の合衆国大統領ジミー・カーターは、人を愛し国を愛したこの偉大なアーティストの死を悼んで、次のように語っています。

「エルヴィス・プレスリーの死は、我が国から大事な一部分を奪いとったようなものだ。彼の音楽とその個性は白人のカントリー音楽と、黒人特有のリズム・アンド・ブルースのスタイルを融合させ、永久にアメリカの大衆文化の様相を変えてしまった。彼は、祖国アメリカの活力、自由、気質を世界の人々に植え付けるシンボルだった。」

 

 また、2006年3月27日には、エルヴィス・プレスリーが生前約20年間を過ごしたテネシー州メンフィスの邸宅「グレイスランド」は、アメリカ合衆国の国定史跡に認定されました。

 

 今回は、「伝説が宇宙から降り注いだ日」として語りつがれている「アロハ・フロム・ハワイ」での演唱をご紹介します。

 

 An American Trilogy
 美國的三部曲
 アメリカの祈り

 

 『ディキシー』

Oh I wish I was in the land of cotton
Old times there are not forgotten
Look away, look away, look away Dixieland

哦,我希望我是在棉花的土地
古老的時光不會被遺忘
把目光移開,看吧,看了迪克西蘭爵士樂

ああ 綿畑の広がる地に帰りたい
古き良き 忘れられぬ故郷に
遙かに見よ 遙かに見よ 遙か彼方のディキシーランドを

 

(background singers)
( 背景歌手)
(バックコーラス)
Oh I wish I was in Dixie, away, away
In Dixieland I take my stand to live and die in Dixie 

我是在迪克西,遠遠的離開的希望
在迪克西蘭爵士樂我採取的立場,生生死死在迪克西

ああ、デキシーに帰りたい 遙か 遙か彼方のディキシーに
ディキシーランドに誓おう ディキシーに生きそして骨を埋めることを


For in Dixieland, I was born
Early Lord one frosty morning
Look away, look away, look away Dixieland

因為我出生在迪克西蘭爵士樂,
一天清晨早主
把目光移開,看吧,看了迪克西蘭爵士樂

ディキシーランドは私の生まれた土地
それは霜のおりたある寒い朝早くだった
遙かに見よ 遙かに見よ 遙か彼方のディキシーランドを

 

 『共和国戦いの讃歌』

Glory, glory hallelujah
Glory, glory hallelujah
Glory, glory hallelujah
His truth is marching on

榮耀,榮耀哈利路亞
榮耀,榮耀哈利路亞
榮耀,榮耀哈利路亞
他的真理在前進

栄光あれ 主に栄光あれ
栄光あれ 主に栄光あれ
栄光あれ 主に栄光あれ
主の真実は押し進んで行く

 

 『私の試練』

So hush little baby
Don't you cry
You know your daddy's bound to die
But all my trials, Lord, will soon be over

所以請安靜小寶寶
不要你哭泣
你知道你爸爸一定會死
但我所有的考驗,主,將很快就會過去

よしよし幼な子よ 
泣くのはおやめ
父さんが死んでいくのは分かっているだろう
しかし私の全ての試練は、主よ、間もなく終わる・・

 

(間奏)

 

 『共和国戦いの讃歌』

Glory, glory, hallelujah
His truth is marching on
His truth is marching on

榮耀,榮耀,哈利路亞
他的真理在前進
他的真理在前進

栄光あれ 主に栄光あれ
主の真実は押し進んで行く
主の真実は押し進んで行く

 

 

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伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

 

 日本の大阪府大阪市東住吉区出身の歌手で俳優としても活躍した坂本スミ子(さかもと スミこ、本名:石井 寿美子、旧姓:坂本、1936年11月25日 - 2021年1月23日 )が、脳梗塞のため、本日熊本市の病院で84年の生涯を閉じました。

 

 坂本は、1961年にNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」の主題歌を歌い、歌手としての不動の地位を築きました。その後、女優としての活動も始めて、1983年には映画「楢山節考」では撮影当初主演女優であった二葉早苗が病気で降板した後、代理で主演し、1983年のカンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞する快挙を達成しています。

 

 坂本の出世作「夢で逢いましょう」は、1961年4月8日から1966年4月2日まで毎週土曜日の夜放送された日本放送協会(NHK)のバラエティ番組「夢であいましょう」(同名であるが、「逢」が「あ」と表示されていた)の主題歌です。

 

‎ 作詞:永 六輔、作曲:中村 八大のコンビによる作で、愛称「おスミ(さん)」と呼ばれて親しまれていたラテン・歌謡曲の歌手坂本 スミ子が演唱したものです。 ‎
‎ この曲は、非常に短く覚えやすい楽曲で、50年以上前のまだテレビの普及していない当時でもこの歌を知らない人はいませんでした。‎

 

 おスミさんの冥福を祈り、本人の演唱でご紹介します。

 

 

  夢で逢いましょう   
  在夢中相逢吧

 

 

  夢であいましょう        在夢中相逢吧
  夢であいましょう        在夢中相逢吧
  夜があなたを抱きしめ      夜晚和善地擁抱你
  夜があなたに囁く        夜晚再低聲私語你

 

  嬉しげに 悲しげに       看起來高興 看起來悲哀
  楽しげに 淋しげに       看起來快樂 看起來寂寞

 

  夢で夢で 君も僕も       在夢中在夢中 君和我都
  夢であいましょう        在夢中相逢吧

 

 

 

『夢であいましょう』歌坂本スミ子

『夢であいましょう』歌坂本スミ子

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