【回憶的海邊】

 

 「想い出の渚」(おもいでのなぎさ)は、日本のグループサウンズの一つザ・ワイルドワンズが、1966年11月5日に発表したデビューシングルです。
 作曲はリーダーの加瀬邦彦、作詞はメンバーの鳥塚繁樹とされていますが、実はこの詞は、グル―プ全員が別々に書いたフレーズを繋いだもので、一番多く書いたと言うことで鳥塚の名前が表記されたものです。
 この楽曲は、加瀬邦彦の12弦ギターの音色の珍しさもあって大ヒットとなり、100万枚以上を売り上げて、このグループの最初でかつ最大のヒット曲となりました。
 発売当時のシングル盤はモノラルでしたが、後に発売されたLP盤ではステレオに再収録されています。

 なお、シングル盤の方のジャケットは2種類存在します。

 発売前に出来上がったジャケットはメンバーが暗い顔をしたもので、加瀬はこれが気に入らず変更を要求しましたが、既に印刷されていたことから、10万枚以上売れたら新しいジャケットと変更するという条件でレコード会社(東芝音工、現東芝EMI)と折り合いをつけたところ、発売後僅か10日間で10万枚を売り上げるヒットとなり、その後の盤は新ジャケットに変更したためです。

  【左は発売10万枚目までのジャケットで、右はそれ以降のジャケット】

 

 歌詞の内容は、嘗て恋人と遊んだ渚に立って、眼前の景色を見ながら帰らざる夏の日の思い出を詠じたものです。
 短い詞の中に、過去から現在に至るまでの眼前の光景を色彩感覚豊かに述べて、更に合作とは思えぬ程自然に、主人公一人だけの心理描写を載せています。
 曲は、2節からなっていますが、第2節はダ・カーポによる単純な繰り返しではなく、ダル・セーニョを使用して部分反覆にすることにより、短い曲にありがちな単調さを避けていて巧みです。

 

 【在這個海邊找到妳】

 

 

 想い出の渚
 回憶的海邊
                 作詞:鳥塚繁樹 作曲:加瀬邦彦 演唱:ザ・ワイルドワンズ
君を見つけたこの渚に
一人たたずみ思い出す
小麦色した可愛いほほ
忘れはしないいつまでも
水面走る白い船
長い黒髪風になびかせ
波に向って叫んで見ても
もう帰らないあの夏の日

在這個海邊找到妳
一個人獨自佇立而回憶著
妳小麥色可愛的臉頰
忘記不做的永遠
在水面跑的白的船
為長的黑髮風飄動
對波浪向試著叫喊也
已經回不來的那個夏日

 

(間奏)

 

長いまつげの大きな瞳が
僕を見つめてうるんでた
このまま二人で空の果てまで
飛んで行きたい夜だった
波に向って 叫んで見ても
もう帰らないあの夏の日

長的睫毛的大的瞳孔
凝視我濕潤著
就這樣二人到天空的盡頭
是想飛去的夜晚
對波浪向試著叫喊也
已經回不來的那個夏日

 

あの夏の日 あの夏の日
那個夏日  那個夏日

 

 

 

 

 

 【已經回不來的那個夏日】

 

 

 

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 【吉永小百合と橋幸夫】

 

 「いつでも夢を」(いつでもゆめを)は、日本の歌手の橋幸夫(はし ゆきお、1943年5月3日 - )と女優の吉永小百合(よしなが さゆり、1945年3月13日 - )のデュエットで、1962年9月20日に 発表された楽曲です。

 

 佐伯孝夫の作詞に吉田正が曲を付けて出来上がったものですが、この曲は元々ロ長調で書かれていました。
 ロ長調は、ピアノ演奏には適しているようでショパンが好んだロマン派的な調だと言われていますが、五線譜で書くと「調号#」が5個もつくややこしい主調で、読譜が極めて難しく、大半の楽器演奏では気が変になりそうなほどの面倒な曲調です。
 「愛燦燦」「明日があるさ」「君のひとみは10000ボルト」などがロ長調ですが、ハ長調より半音下の音階なので曲調に珍しさを生じ、大ヒットにつながる場合もあります。

 

 この楽曲の録音にあたっては、橋と吉永は二人とも当時絶大な人気を誇っていたため、超多忙なスケジュールを合わせることが出来ず、止む無く別々にレコーディングしてその音源を一つにミキシングする手法が取られました。
 ところが、プロの歌手ではない吉永は、オーケストラの演奏するこのややこしいロ長調で歌うことが出来ず、急遽半音上げてハ長調に移調したと言われています。
 歌手を本職とする橋は、当然ながら何ら労することなく吉永に合わせて演唱しています。
 従って、現在使われている「いつでも夢を」の楽譜はハ長調で伝わっています。

 

 当代の二大人気者により演唱された初デュエットは、発売から1ヶ月で売上30万枚という驚異的な記録をたて、半年すぎた翌年5月には100万枚を突破、最終的な累計売上は260万枚を超える大ヒットとなっています。

 

 この楽曲はその年の12月27日に開催された第4回日本レコード大賞の大賞を受賞し、1962年のみならず日本の高度成長期を象徴する楽曲となって日本国民に愛された歌として、長期に亘り人気を保っています。
 また、長年に亘りテレビの各番組で流され、この楽曲へのリクエストも多いことから、発表当時まだ出生していなかった若い年齢層にもよく知られている楽曲です。

 

 

 いつでも夢を 
 始終懷著夢想

 

           作詞:佐伯孝夫  作曲:吉田正  演唱:橋幸夫・吉永小百合
(橋幸夫)
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる
声が聞こえる 淋しい胸に
涙に濡れた この胸に

比星星還要神秘,比雨還要溫柔
那個姑娘時常在歌唱著
歌聲裡能聽到寂寞的心靈
充滿淚水的這顆心

 

(合唱)
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
星よりひそかに 雨よりやさしく
あの娘はいつも 歌ってる

歌聲說著要一直持續下去哦
要像這樣懷著夢想 要像這樣懷著夢想
比星星還要神秘,比雨還要溫柔
那位姑娘時常在歌唱著

 

〔間奏〕

 

(吉永小百合)
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れ来る
すすり泣いてる この顔上げて
きいてる歌の 懐かしさ

走著走著 就連悲傷的深夜
也會傳來那個姑娘的歌聲
抬起啜泣著的臉龐
聽到了那懷念的歌聲

 

(合唱)
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
歩いて歩いて 悲しい夜更けも
あの娘の声は 流れ来る

歌聲說著要一直持續下去哦
要像這樣懷著夢想 要像這樣懷著夢想
走著走著 就連悲傷的深夜
也會傳來那個姑娘的歌聲

 

(合唱)
言っているいる お持ちなさいな
いつでも夢を いつでも夢を
はかない涙を うれしい涙に
あの娘はかえる 歌声で

歌聲說著要一直持續下去哦
要像這樣懷著夢想 要像這樣懷著夢想
將悲慘的淚水化為 喜悅的涙珠
那個姑娘改變 根據歌聲…

 

(バックコーラス)
あの娘はかえる 歌声で…
那個姑娘改變 根據歌聲…

 

 

 

 

 

 

 

 

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 【左から松原智恵子、舟木一夫、山内賢】 

 

 「学園広場」は、日本の歌手舟木 一夫(ふなき かずお、1944年12月12日 - )が、今から55年前の1963年(昭和38年)10月に発表した楽曲です。

 

 舟木 一夫は1963年6月5日「高校三年生」を演唱してデビューし、8月には「修学旅行」を発表したばかりで、10月のこの曲が3曲目となりました。

 

 同時並行して映画も制作され、「高校三年生」は1963年11月16日に大映から公開されました。
 その僅か一箇月後の1963年12月15日には日活から「学園広場」が公開されましたが、超過密スケジュールの為、「高校三年生」が84分の作品であるのに対し、「学園広場」の方はその半分の43分という短いものでした。

 

 舟木和夫の「学園広場」は男子学生の歌として出来上がっていますが、同様の主題で翌年ペギー葉山が発表した「学生時代」は女子学生の歌になっています。

 

 今回は、青春ソングで一世を風靡した舟木一夫の原唱でご紹介します。
 作詞は関沢新一、作曲は遠藤実です。

 

 

 学園広場
 學園廣場
               作詞:関沢新一 作曲:遠藤実 演唱:舟木一夫
1節
空にむかって あげた手に
若さがいっぱい とんでいた
学園広場で 肩くみあって
友と うたった 若い歌

面向天空 提高的向手
年輕滿滿漏跳著
在學園廣場 肩膀組織起來
與朋友 唱的 年輕的歌

 

2節
涙ながした 友もある
愉快にさわいだ 時もある
学園広場に 咲いてる花の
ひとつ ひとつが 想いでさ

也有流眼淚的 朋友
也有愉快地騷亂的 時候
在學園廣場 開的花
一個一個是回憶

 

3節
ぼくが卒業 してからも
忘れはしないよ いつまでも
学園広場は 青春広場
夢と希望が ある広場

我畢業做也之後
忘記不做的啊 永遠
學園廣場 是青春廣場
有夢和希望的廣場

 

 

 

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