「秋櫻(コスモス)」は、日本の歌手山口百惠が、丁度42年前の1977年10月1日に發表した樂曲です。

 

 作詩・作曲はさだまさし(佐田 雅志)、歌詩の内容は明日嫁ぐ娘の母を思う心情を詠じたもので、當時18歳の山口が切切と歌い上げました。

 

 この曲を發表した3年後、山口百惠は俳優の三浦友和と結婚して藝能界を引退しました。
 この曲は、發表當時はあまり大ヒットにはなりませんでしたが、山口引退後徐徐に人氣が上がり、「日本の歌百選」にも選ばれている名曲です。

 

 雨にも負けず風にも負けず健氣に咲くコスモスの花言葉は「乙女の真實」。

 乙女に縁のない伊賀山人庭園でも青天白日の下、今を盛りにコスモスが風に吹かれて咲き誇っています。

 

秋桜 山口百恵 コスモス

「秋櫻」 作詩・作曲:佐田 雅志 演唱:山口 百惠

這是首名曲,聽不出是42年前的老歌。
當年18歲的山口百惠唱,出嫁的女兒牽掛母親的樂曲。
然後三年後,歌手山口百惠與演員三浦友和結婚在演藝圈引退了。
直至今日,看到秋櫻時,我仍會想起這首歌。

 

 

  秋櫻(波斯菊)

 

 第一節

 

秋日的粉紅秋櫻             (うす紅の秋桜が秋の日の )
無心地在陽光中搖曳         (何気ない陽溜りに揺れている)
最近時常流淚的母親         (此頃涙もろくなった母が)
在院子輕咳了一聲           (庭先でひとつ咳をする)
她坐在廊子翻看相簿         (縁側でアルバムを開いては)
回憶起我的童年             (私の幼い日の思い出を)
不斷重複說著同樣的話       (何度も同じ話くり返す)
聲音小得像在自言自語       (独言みたいに小さな声で)
在這種小陽春的溫和日子      (こんな小春日和の穏やかな日は)
我深深感到您的體貼         (あなたの優しさが浸みて来る)
對明日將出嫁的我,         (明日嫁ぐ私に)
「往後再辛苦              (「苦労はしても)

時間會把一切都化為談笑      (笑い話に時が変えるよ)
不用擔心」,您笑著說           (心配いらない」と笑った)

 

 

  【母親回憶起童年的女兒】

 

 第二節

 

我追憶種種往事          (あれこれと思い出をたどったら)
才發現從來不曾孤獨過     (いつの日もひとりではなかったと)
想到過去任性的自己       (いまさらながら我侭な私に)
不禁咬住嘴唇            (唇かんでいます)
您幫忙收拾明日的行李     (明日への荷造りに手を借りて)
看起來心情很愉快        (しばらくは楽し気にいたけれど)
卻突然淌下淚,「要保重啊」   (突然涙こぼし「元気で」と)
再三重複同一句話        (何度も何度もくり返す母)
道謝的話欲言又止        (ありがとうの言葉をかみしめながら)
我將試著自己活下去       (生きてみます 私なりに)
在這小陽春的溫和日子     (こんな小春日和の穏やかな日は)
請再讓我多做一會兒       (もう少しあなたの子供で)
您的孩子吧               (いさせてください)

 

 又及: 最後兩行,因日台文法不同,台文有顛倒。

 

 

  おまけ:張鶴の二胡演奏▼

 

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 「ささやかなこの人生」は、日本のフォークデュオ「風」が1976年6月25日に発表した楽曲です。
 「風」はフォークグループ「かぐや姫」に所属していた伊勢正三(いせ しょうぞう、1951年11月13日 - )がフォークバンドの「猫」に所属していた大久保一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - )と1975年に結成したフォークデュオです。
 デビュー曲は1975年4月12日のかぐや姫解散コンサート以前の、2月5日に発表した「22才の別れ」で、いきなり大ヒットとなりました。

 

 今回ご紹介する「ささやかなこの人生」は、その2箇月後に発表したもので、作詞・作曲共に伊勢正三が担当しています。

 

 歌詞の内容は、大筋としては失恋した人への応援歌ですが、伊勢正三の詞作は非常に包括的で抽象的なものが多く、この歌詞も人それぞれで解釈の異なる難解なものになっています。

 

 伊賀流の解釈としては、次のようなものです。

 まず、歌い起しで花の散った桜の木の人には見られたくない寂しい姿を擬人化して、恋愛中の人は誰しも相手に見せたくはないものがあると詠じています。

 

 続いて、交際が深まるにしたがってそれまで隠していた本心が現れてきて破局の原因になることを示唆しています。

 

 更に、遡ることのできない時の流れを振り返るのは止めて悲しみは涙で洗い流そうと提案しています。

 

 (間奏)の後で、恋愛が始まったときと失恋したときの心の動きについて改めて詠じています。

 

 次いで視点を変えて、時間は過ぎ去って帰ってはこないのに対し、季節は永遠に巡りくることを踏まえて、次の新しい愛が芽生えることを「風」に託しています。ここで「風」とはこのデュオの名前に由来するもので「空気のように留まらず、常に進化していくことを目指す」を踏まえているものと思われます。

 

 最後に別れた恋人たちに、悠久の時間の中ではほんのささやかな人生を「恋愛の喜び」とか「失恋の悲しみ」とかだけの狭い人生観に捉われて無駄に過ごさないでくれと要望して結びとしています。

 
 この歌詞は、前述のとおり非常に詞的なものですので、伊賀山人の解釈に捉われず、読者各位はご自分の人生観に応じて解釈されるとよいでしょう。

 

 

 ささやかなこの人生
 微薄的這個人生
              作詞・作曲:伊勢正三 演唱:風

 

花びらが散ったあとの桜がとても冷たくされるように
誰にも心の片隅に 見せたくはないものが あるよね

花瓣散落以後的櫻花非常為使被冷
人們必定心一隅有想 不對別人顯示東西

 

だけど人を愛したら 誰でも心のとびらを閉め忘れては
傷つきそして傷つけて ひきかえすことの出来ない人生に気がつく

可是愛人的話 人們忘記關上自己的心的門
又以戀人們傷害互相 返回不能的人生注意到

 

やさしかった恋人達よ ふり返るのはやめよう
時の流れを背中で感じて夕焼けに涙すればいい

告訴和善的戀人們 中止回頭看
用背感到時候的流動因晚霞流淚就行了

 

(間奏)

 

誰かを愛したその日にはたとえばちっぽけな絵葉書にも心が動き
愛をなくしたその日には街角の唄にもふと足を止めたりする

開始愛人的日譬如看小美術明信片心也變動
丟失愛的日與在街角聽見的歌也偶然止住腳

 

風よ季節の訪れを 告げたら淋しい人の心に吹け
そしてめぐる季節よ その愛を拾って終わりのない物語を作れ

風如果宣告季節的來訪為寂寞的人的心吹
又圍繞的季節挑那個愛製作結束沒有的故事

 

やさしかった恋人達よ ささやかなこの人生を
喜びとか悲しみとかの 言葉で決めて欲しくはない

明朗和善的戀人們 微薄的這個人生
希望用喜悅啦嗎悲傷啦嗎言詞不決定

 

 

 


【歌詞字幕】 ささやかなこの人生 風

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 「翼をください」(つばさをください)は、日本のフォークグループの「赤い鳥」(1969年 - 1974年)が1970年に演唱し、翌1971年にシングルレコードとして発表した楽曲で、作詞は山上路夫、作曲は村井邦彦が担当しています。

 

 この曲は、1970年11月に三重県志摩郡浜島町(現:志摩市)にある総合リゾート施設「合歓の郷」(ねむのさと)で開かれた、ヤマハ音楽振興会が主催するプロ作曲家の音楽コンテスト「合歓(ねむ)ポピュラーフェスティバル'70」(後の「ポプコン」)のために作られたものです。

 

 この楽曲を「赤い鳥」が公の場で演唱したのはこの時が初めてでしたが高評価を得て、作曲家の村井邦彦は「川上賞」(振興会創設者の川上 源一の名を冠した賞)を受賞し、「赤い鳥」は歌手部門で「新人奨励賞」を受賞しています。

 

 歌詞の内容は、「翼を付けて悲しみの無い大空へ飛んで行きたい。」と詠ずるもので、ある意味現実逃避を表現しています。
 これは、1970年代の安保闘争や学園紛争に揺れた時代背景から生ずる若者の憂愁や厭世観を、ヒューマニズムを詠ずることを得意とする当時34歳になったばかりの作詞家の山上路夫が夢想的かつ象徴的に表現したものです。

 

 この曲は元々作曲家の村井邦彦が参加する作曲コンクール用に作られたことから、「赤い鳥」としてはあまり重要な楽曲とは見做していなかったようで、翌1971年2月5日 にシングルレコードとして発表した時には、「竹田の子守唄」のB面曲として収録しています。

 

 歌詞の内容がメルヘンチックではあるものの厭世的で決して明るいものではないことから、発表時にもそれほどヒットはしていませんが、その後徐々に人気が高まり、寧ろ1974年に「赤い鳥」が解散してからの方が評価が上がって、学校の音楽の教科書に採用されて教育の場でも使われるなど、既に解散している「赤い鳥」の代表曲となりました。

 

 この楽曲には、編曲はフォーク調からロック調、歌詞も一部省略したものから逆に繰り返しを増やしたものなど様々なバージョンが存在します。

 

 今回は、伊賀山人が某大4学年であった1972年(昭和47年)に、まだ期待の新人グループであった「赤い鳥」を某大開校祭前夜祭に招待したときに演唱したのと同じライブバージョンでご紹介します。

 

 なお、この前夜祭には、伊賀山人は空手の模範演武で参加しましたので、リハーサルから本番まで「赤い鳥」と行動を共にしていました。
 それまで開校祭に招いた歌手の殆どは、リハーサルでは音合わせをするだけで殆ど歌う人はいませんでしたが、このグループに限っては、リハーサルでも全員でフルコーラスを歌っている真摯な姿が印象的でした。
 また、リハーサル時の服装は普段着のジーンズにジャケット姿でしたが、リハーサル後ステージ衣装に着替えてくるといって楽屋に下がりました。
 所詮は新人のフォークグループですので、それほど煌びやかで豪華な衣裳ではあるまいと思っていましたが、再び現れた彼らの姿を見て驚きました。
 確かに着替えてはいますが、リハーサルの時と大差さない普段着のジーンズにジャケット姿でした。
 新調した普段着なのか、それとも何かのブランド物なのか、いづれにしても観客席から見てもその違いは分かりません。
 本番を迎えるにあたって、先ずは形を整えて精神を集中するというプロ意識の現れであったように、半世紀近くを経た今になって思っています。

 

 

 翼をください
 給我一對翅膀
                     作詞:山上路夫 作曲:村井邦彥 演唱:赤い鳥

 

いま私(わたし)の願(ねが)いごとが
かなうならば    翼(つばさ)がほしい
この背中(せなか)に    鳥(とり)のように
白(しろ)い翼(つばさ)つけてください

如果我的心願能夠實現
希望上天給我一對翅膀
就像鳥兒一樣在我背上
讓我有一對雪白的翅膀

 

この大空(おおぞら)に    翼(つばさ)をひろげ
飛(と)んで行(ゆ)きたいよ
悲(かな)しみのない    自由(じゆう)な空(そら)へ
翼(つばさ)はためかせ    行(ゆ)きたい

好想在這片廣闊天空之上
盡情展翅飛翔
向著沒有悲傷的自由天空
讓風托起翅膀  飛向遠方

 

<間奏>

 

いま富(とみ)とか名譽(めいよ)ならば
いらないけど    翼(つばさ)がほしい
子供(こども)の時(とき)    夢見(ゆめみ)たこと
今(いま)も同(おな)じ    夢(ゆめ)に見(み)ている

與其給我財富或者名氣
寧願上天給我一對翅膀
小時候曾經做過的夢想
如今還在我的心上

 

この大空(おおぞら)に    翼(つばさ)をひろげ
飛(と)んで行(ゆ)きたいよ
悲(かな)しみのない    自由(じゆう)な空(そら)へ
翼(つばさ)はためかせ…

好想在這片廣闊天空之上
盡情展翅飛翔
向著沒有悲傷的自由天空
讓風托起翅膀…
 

 

この大空(おおぞら)に    翼(つばさ)をひろげ
飛(と)んで行(ゆ)きたいよ
悲(かな)しみのない    自由(じゆう)な空(そら)へ
翼(つばさ)はためかせ…

好想在這片廣闊天空之上
盡情展翅飛翔
向著沒有悲傷的自由天空
讓風托起翅膀…
 

 

この大空(おおぞら)に    翼(つばさ)をひろげ
飛(と)んで行(ゆ)きたいよ
悲(かな)しみのない    自由(じゆう)な空(そら)へ
翼(つばさ)はためかせ    行(ゆ)きたい~

好想在這片廣闊天空之上
盡情展翅飛翔
向著沒有悲傷的自由天空
讓風托起翅膀  飛向遠方~

 

 


赤い鳥 翼を下さい(ライヴ)

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