「泣かないで」は、日本の俳優でシンガーソングライターでもある舘 ひろし(たち ひろし、1950.3.31 - )が、1984年11月に発表した楽曲です。

 

 舘 ひろしは、1979年10月から1984年10月までテレビ朝日系列で毎週放送されたテレビドラマ「西部警察」に鳩村刑事役で出演していた頃は俳優業が忙しく、ベストアルバムなどを何枚か発表しているほかは目立った音楽活動はしていません。

 西部警察終了後、本格的に音楽活動を再開して、今野雄二(こんの ゆうじ、1943.10.5 -2010.8.2)が作詞したこの「泣かないで」に自ら曲を付けて実に3年ぶりのシングル版として発表したものです。

 西部警察で知名度が上がっていたことや、その後全国コンサートツァーを行ったこともあり、徐々に人気が上がってレコード売上25万枚のヒットになって、この年の第35回NHK紅白歌合戦にはこの楽曲で初出場を果たしています。

 

 歌詞は、本人の言によると「女性に捧げるというテーマで歌った」とのことですが、その内容はどう考えても男が女に一方的に別れを告げている場面としか思えず、些かご都合主義的な楽曲に仕上がっています。

 

 泣かないで(請別哭) 
                              作詞:今野雄二・宮原芽映 
                              作曲・歌唱:舘ひろし
一節
消し忘れた煙草 回り続けるレコード   (熄滅忘記了的香煙 持續轉的唱片) 
途切れたままの言葉             (間斷了的言詞) 
そっと置いた指輪 言いかけてやめた嘘 (偷偷地放置了的戒指 剛一開口停止了的謊言)
冷めてしまった中国茶            (變冷了的中國茶)

お前の好きだった中国茶          (妳喜歡的中國茶….)
 
 二節
覚えのあるピアノ 小刻みに動く指      (有記憶的鋼琴 一點一點動的手指)
塗り潰された写真                (被全面塗抹的照片) 
ひびの入ったグラス 壊れそうな微笑    (有裂縫的玻璃杯酒 快要壞掉了的微笑) 
色をなくした口紅                 (無失了顏色的口紅 )

久しぶりにみた口紅                   (隔了好久看了的口紅)

 

(附節)
泣かないで 泣かないで           (「請別哭….請別哭….」)
抱き寄せてしまうから             (「抱到懷裡了」) 
泣かないで 泣かないで           (「請別哭….請別哭….」)
今よりもましな 優しさに会えるよ   (「比現在好的和善 能遇見喲」) 
俺の為に泣かないで           (「為了我請妳不要哭」)

 

 (間奏)

 

三節
このまま友達で さよならは言えないわ  (『就這樣做個朋友 而已不能說再見了』) 
弱くなったの私                   (『我變弱了』) 
今も愛してるわ 
うつむきながらつぶやく (『現在也愛你』 妳垂下頭嘟噥 
気の強い女だったろ             (「妳是女強人是不是」)
涙は嫌いのはずだろ             (「妳討厭眼淚對不對」)

 
(附節) 
泣かないで 泣かないで          (「請別哭….請別哭….」)
抱き寄せてしまうから            (「抱到懷裡了」)
泣かないで 泣かないで          (「請別哭….請別哭….」)
今よりもましな 優しさに会えるよ    (「比現在好的和善 能遇見喲」) 
俺の為に泣かないで            (「為了我請妳不要哭」)

 

 


泣かないで 舘ひろし

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【襟裳岬歌碑(右が島倉千代子、左は森進一の歌碑)】

 

 襟裳岬の展望台の横には2つの歌碑があります。

 右側は、「島倉千代子」の「襟裳岬」の歌碑で、この岬が有る「幌泉(ほろいずみ)町」が改称して「えりも町」となった記念として1971年(昭和46年)に建立されました。
 左側は、「森進一」の「襟裳岬」の歌碑で、展望台を兼ねた風のテーマ館「風の館」が建設され、森進一が来町した際に記念として1997年(平成9年)に建立されました。
  同じ場所に同名異曲の2つの歌碑が並んで建立されているという他所では見られない珍しい光景です。

 

 現在、「襟裳岬」というと、1974年(昭和49年)1月に発表された森進一の歌曲を思い浮かべる人が殆どで、島倉千代子の歌を知る人も少なくなりつつあります。

 

 そこで、今回は、ワンダムさんのご要望に応じて島倉版をご紹介します。

 

 島倉版の「襟裳岬」は、1961年(昭和36年)5月、島倉千代子23歳の時に発表された楽曲です。
 この曲は、瞬く間に大ヒットとなり、当時としては異例の100万枚を超えるレコード売上げを記録して、全国的には全く無名であった襟裳岬の名を広く世間に知らしめました。

 

 その当時は、池田内閣の所得倍増計画の掛け声の下、高度経済成長が端緒についた時期でした。しかし、国民の大多数は未だに貧乏であり、自家用車を持つ者などほんの一握りの富豪に限られていたため、一般の庶民には気軽に旅行に出かけるような経済的・時間的余裕などないのが実情でした。
 従って、全国で観光地として整備されているものは、数少ない限られた所にしかありませんでした。
 襟裳岬には燈台が有るだけで、他に見るべきものもなく、訪れる観光客もいませんでした。
 島倉がこの襟裳岬の名を全国に知らしめたことから、この地も逐次観光地として整備されるようになりました。

 

 島倉版の「襟裳岬」は、NHK紅白歌合戦で2回披露されています。
 1回目は、この曲を発表した1961年の『第12回NHK紅白歌合戦』、2回目は、1974年の『第25回NHK紅白歌合戦』で、いずれも紅組トリでの歌唱でした。
 2回目は、当初、島倉は紅白で未歌唱であった1955年(昭和30年)のデビュー曲「この世の花」を歌唱する予定でしたが、白組のトリとなった森進一がこの年発表した同名異曲の「襟裳岬」を歌うことが決定したため、森に対抗するためこの曲に変更したものです。
 
 島倉版の「襟裳岬」、作詩は丘 灯至夫(おか としお)、作曲は遠藤 実(えんどう みのる)、去って行った男を思う襟裳の女の未練を詠う、所謂演歌です。

 

 

   襟裳岬 
                       作詞:丘 灯至夫 作曲:遠藤 実          

1 風はひゅるひゅる
  波はざんぶりこ
  誰か私を 呼んでるような
  襟裳岬の 風と波
  憎い憎いと 怨んだけれど
  今じゃ恋しい あの人が


2 風はひゅるひゅる
  波はざんぶりこ
  浜の日暮れは 淋しいものよ
  たった一人は なおさらに
  こんぶとる手に ほろりと涙
  背のびしてみる 遠い空


3 風はひゅるひゅる
  波はざんぶりこ
  春はいつくる 燈台守と
*1
  襟裳岬の 女の子*1
  泣いてみたいな 霧笛のように*2
  泣けば想いも 晴れるのに

 

*1 「燈台守」も「女の子」も風景描写の一部であり、恋愛の当事者ではありません。
     なお、この当時、「女の子」とは、小学生以下の女児を指します。
*2 此処で言う「霧笛」とは、船舶のものではなく、燈台に設置されているものを
  指します。
   襟裳岬の沖合で暖流と寒流とがぶつかることから、濃霧が発生しやすく、襟裳岬の
  燈台には霧笛が附設されています。 

 

 

襟裳岬 島倉千代子

 

 

 凡そ2000曲の楽曲を発表し、数多くのヒット曲を生んだ島倉千代子ですが、2013年(平成25年)11月8日、肝臓癌のため満75歳(享年76)でこの世を去りました。 合掌

 

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 「瀬戸の花嫁」(せとのはなよめ)は、日本の歌手小柳ルミ子(こやなぎ るみこ、1952年7月2日 - )が1972年4月に発表した自身4枚目のシングル曲です。
 小柳ルミ子としてはデビュー曲の「わたしの城下町」に次ぐヒットとなり、同年の第3回日本歌謡大賞を受賞しています。 

 

 作曲は平尾昌晃、作詞は山上路夫で、当時流行していた"ディスカバー・ジャパン路線"を踏襲する楽曲で今でも瀬戸内海を代表するご当地ソングとなっています。

 

 歌詞の内容は、瀬戸内海に浮かぶ島に住む娘が他の島に住む恋人へ嫁いで行くにあたっての家族への思いやりと新生活への期待と決意とを詠じたものです。

 

 楽曲の舞台は、伊賀山人が少年時代を過ごした香川県の小豆島であるという説もありましたが、作詞した山上路夫が語ったところによると、彼が仕事で広島県の尾道から瀬戸内海を渡って四国に向かう途中で、水中翼船から見た段々畑と美しい夕焼けの島々の景色が印象的でそれを思い浮かべて作詞をしたとのことで、特定の島をイメージしたものではないようです。

 

 

 瀬戸の花嫁
 瀨戶的新娘
                作詞: ‎山上路夫 作曲:‎平尾昌晃 演唱:小柳ルミ子

(1節)
瀬戸は日暮れて 夕波小波
あなたの島へ お嫁に行くの
若いと誰もが 心配するけれど
愛があるから だいじょうぶなの
だんだん畑と さよならするのよ
幼い弟 行くなと泣いた
男だったら 泣いたりせずに
父さん母さん だいじにしてね

瀨戸內海的黃昏,微波盪漾
我將出嫁至你居住的島嶼
任何年輕女子也會忐忑不安,不過
因為有愛,所以也就不打緊了
一階一階的梯田,再會了
年幼的弟弟哭著說:「不要去啊!」
但身為男兒有淚不應輕彈呀!
爸爸!媽媽!善自珍重呀!

 

(2節)
岬まわるの 小さな船が
生まれた島が 遠くになるわ
入江の向うで 見送る人たちに
別れ告げたら 涙が出たわ
島から島へと 渡ってゆくのよ
あなたとこれから 生きてく私
瀬戸は夕焼け 明日も晴れる
二人の門出 祝っているわ

小船繞過海岸峭壁
出生成長的島嶼已越行越遠
對著海灣另一側送行的親友們
相辭告別,淚水盈盈而出啊!
自此島往那島橫越過去
自此之後將與你廝守一生的我
瀨戸內海的晚霞,明天也是晴空萬里
祝賀著我們兩人新的人生旅程

 

  

瀬戸の花嫁 小柳ルミ子

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