「誰もいない海」は、1967年NETテレビ(現テレビ朝日)の『木島則夫モーニングショー』の中で「今週の歌」として、日本の歌手のジェリー伊藤が演唱した楽曲です。

 

 レコードはジェリー伊藤に先んじて3人が発売しています。
 1968年にシャンソン歌手の大木康子が初めてレコード化しましたが、全くヒットしませんでした。
 2年後の1970年11月5日に日本の歌謡ポップデュオであるトワ・エ・モワ (Toi et Moi:山室英美子と芥川澄夫の二人)と元宝塚歌劇団男役トップスターでシャンソン歌手に転向した越路 吹雪(こしじ ふぶき、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)が同日にレコードを発売し、トワ・エ・モワ版がオリコン16位、越路 吹雪版は同92位にランクインするヒットとなりました。
 原唱者のジェリー伊藤がレコーディングしたのは翌1971年ですが、こちらは英語の翻訳歌詞を入れるなど趣向を凝らしたものの全く売れませんでした。

 

 作詞は、日本の口語現代詩を得意とする女流詩人山口 洋子(やまぐち ようこ、1933年10月 - )が書いていますが、この人の詩で曲が付いて演唱されたのは伊賀山人の知る限りこの1曲だけです。
 時々間違われるのですが、『よこはま・たそがれ』や『千曲川』などの流行歌で知られる作詞家の山口洋子(やまぐち ようこ、1937年5月10日 - 2014年9月6日)とは、同姓同名の別人です。

 

 作曲は、越路吹雪の夫で日本の音楽家内藤 法美(ないとう つねみ、1929年11月16日 - 1988年7月9日)が担当していますが、この人は1959年に越路 吹雪と結婚して彼女が胃癌の為56歳という若さで世を去るまで生涯を共にしています。その本人も8年後に肝臓癌を患い58歳の若さで越路の許に旅立ちました。

 

 この楽曲の歌詞は、1首が3節からなる3段構成となっており、かつ、それぞれの節の中の各句は起承転結の4句からなっています。
 各節を通して起句は同じ文言で「今はもう秋 誰もいない海」と詠い起しています。
 承句・転句・結句は、第1節から第3節まで連続する対句のような構成になっています。
 承句では第1節で「他人」第2節で「自分」第3節で「思い人」のことを詠じて、自らの苦しみや悲しみの根源を幅広く表現しています。
 転句では各節順に自分が死にはしないと約束した相手を「海」「砂」「空」と視線を遠くから近くへ、更に上に揚げることにより未来への希望を予感させています。
 結句では、「つらくても」「淋しくても」「ひとりでも」・・・「死にはしないと」詠じて、苦難に耐えて独り生きて行く決意を表明しています。

 

 この詩には主人公である「私」と「帰らない人」との関係は述べられていませんが、そのことにより聞く人それぞれの人生に応ずる様々な解釈が可能な余韻のある詩になっています。

 

 この楽曲の最大のヒットはトワ・エ・モワで、このデュエットはラウンジ系ポップの先駆けとして多くのヒット曲を出していますが、元々ラウンジ系ポップはホテルのラウンジやカフェでかかる音楽、つまりそこに集う人々の会話や社交を邪魔しないムード音楽が主体ですので、その演唱はあまり印象に残らない憾みがあります。

 

 今回は、作曲者内藤法美の妻である越路吹雪のシャンソン風の演唱でご紹介します。
 後に越路に先立たれることになる内藤の心情を予言していたかのような一曲です。
 

 

 誰もいない海
 無人的海邊
               作詞:山口洋子 作曲:内藤法美 演唱:越路吹雪

 

(第1節)
今はもう秋 誰もいない海
知らん顔して 人がゆき過ぎても
私は忘れない 海に約束したから
つらくても つらくても 死にはしないと

現在已是秋天 無人的海邊
即使人們經過 也是冷漠
我不會忘記 因爲我約定大海
無盡痛苦 無盡痛苦 儘管如此我並沒有死去

 

(第2節)
今はもう秋 誰もいない海
たったひとつの 夢がやぶれても
私は忘れない 砂に約束したから
淋しくても 淋しくても 死にはしないと

現在已是秋天 無人的海邊
唯一的.夢想心願 也破滅了
我不會忘記 因爲我約定海沙
無盡寂寞 無盡寂寞 儘管如此我並沒有死去

 

(第3節)
今はもう秋 誰もいない海
いとしい面影(おもかげ) 帰らなくても
私は忘れない 空に約束したから
ひとりでも ひとりでも 死にはしないと

現在已是秋天 無人的海邊
即使是可愛身影 也不回來
我不會忘記 因爲我約定天空
無盡孤獨 無盡孤獨 儘管如此我並沒有死去

 

 


越路吹雪 誰もいない海

 

 

 おまけ トワ・エ・モワ 版▼

誰もいない海  トア・エ・モア

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  「ここに幸あり」は、1956年当時18歳の新人歌手大津美子(おおつ よしこ、1938年1月12日 - )が発表して空前の大ヒットとなった楽曲です。

 

 作詞は『酒は涙か溜息か』などのヒット曲で戦前から知られていた高橋掬太郎(たかはし きくたろう、1901年(明治34年)4月25日 - 1970年(昭和45年)4月9日)、この詞に大津美子の歌唱指導をしていた大津の恩師である飯田三郎(いいだ さぶろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2003年(平成15年)4月24日)が曲を付けた楽曲です。

 

 この歌の各節の結句はそれぞれ詩的表現になっているので解釈は人それぞれですが、大まかには、人生の幸福とは然程大それたものではなく、誰もが営なむ日々の暮らしの中にあると詠ったものと思われます。
 つまり、「女の人生には雨や嵐のような困難なことが多いが、頼りになる人が傍に居て偶に晴れた青空に恵まれることや、二人で寄り添って白い雲を見上げることなどの、ほんの細やかな出来事こそが幸福なのだ」と主張しているものと解釈できます。
 ただし、テレビ番組などでの演唱では時間の制約から省略されることの多い第2節の歌詞から読み取れるように、この楽曲は強い男と弱い女というよくある図式を単純に歌ったものではありません。
 誰にも頼ることができず女手一つで戦中戦後の動乱の時代を命がけで生き抜いてきて、心に傷を受けつつも夜の巷で働いている主人公が、今ここにようやく見つけた人並みの幸せについて詠じたものです。
 その慎ましやかな幸せに思いを致すとき、この詩には単なる恋歌とは異なる万感胸に迫るものが有ります。

 

 大津美子、現在81歳、今でも元気に演唱活動を続けています。

 

 


222 ここに幸あり ***幸福在這裡字義版

 

 

ここに幸あり(幸福在這裡)  
                       詞:高橋掬太郎   曲:飯田三郎
一節
嵐も吹けば 雨も降る       (又是刮強風 又是下大雨)
女の道よ なぜ険し        (女人的路途為何那麼險惡)
君を頼りに 私は生きる      (依賴著你 我就能活下去)
ここに幸あり 青い空       (幸福在這裡 就在那藍天裡)

 

二節
誰にも言えぬ 爪のあと      (無法向人傾訴)
心に受けた 恋の鳥        (愛情鳥留予內心的爪痕)
鳴いて逃れて 彷徨い行けば  (哭泣 逃避  徬徨 徘徊)
夜の巷の 風哀し          (夜裡巷口的風 竟是那麼淒涼)
 

 

三節
命のかぎり 呼びかける      (在有生之年 都要呼喚著你)
こだまの果てに 待つは誰    (迴響在山谷盡頭 是誰在等待)
君に寄り添い 明るく仰ぐ     (依偎著你 仰望光明)
ここに幸あり 白い雲       (幸福在這裡 就在那白雲裡)

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 『みかんの花咲く丘(みかんのはなさくおか)』は、1946年8月25日に発表された楽曲で、日本を代表する童謡の1つとして知られています。
 作詞は加藤省吾、作曲は海沼實により、当時12歳の童謡歌手川田正子(かわだ まさこ、1934年7月12日 - 2006年1月22日)が、社団法人日本放送協会東京放送局(現・NHKラジオ第1放送。1951年まで日本の放送局はNHKしかなかった)のラジオ番組『空の劇場』で東京・内幸町の本局と静岡県伊東市立西国民学校を結ぶ、ラジオの「二元放送」で演唱した楽曲です。

 

 川田正子は、戦前から少女歌手として知られていましたが、終戦直後の1945年(昭和20年)12月24日、ラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で演唱した『里の秋(さとのあき)』のヒットにより童謡歌手として不動の地位を確立していました。

 

 『みかんの花咲く丘』も『里の秋』と同様、川田の師匠でもある作曲家海沼實の曲作りが遅々として進まず、完成したのは放送前日のことでした。
 放送日に川田正子は歌詞を覚える時間がなく、楽譜を手に持って見ながら歌ったと伝えられています。

 

 歌詞の内容は、静岡県伊東市のみかん畑を舞台として、遠くに見える海を眺めながら、母親を懐かしむという内容です。
 この歌詞に見える「母さん」は、当時「姉さん」とする別バージョンもありました。
 終戦からまだ1年の当時「母さん」を懐かしむ歌詞では死別を意味しやすいのですが、「姉さん」であれば嫁に行ったと解釈できることから、当時、戦災により母親を失った多くの子供たちへ配慮したためです。

 

 今回は、今は亡き川田正子本人の演唱と台灣の心韻合唱團の演唱でご紹介します。

 

 

 みかんの花咲く丘 
 蜜柑花開的山丘
               作詞:加藤 省吾 作曲:海沼 実 演唱:川田正子
1.
みかんの花が 咲いている
思い出の道 丘の道
はるかに見える 青い海
お船がとおく かすんでる

蜜柑花 開著
回憶的道 丘的道
看上去遙遠的 藍的海
船隻 遠遠方 霞霧朦朧

 

2.
黒い煙を はきながら
お船はどこへ 行くのでしょう?
波に揺られて 島のかげ
汽笛がぼうと 鳴りました

一邊冒出黑的煙
船隻 是往何處 去吧?
被波浪搖動 進入
島嶼後邊

汽笛 叭地 響了

 

3.
何時か来た丘 母さんと
一緒に眺めた あの島よ
今日もひとりで 見ていると
やさしい母さん 思われる

曾經 來過的山丘 和母親
一起 眺望 那個島
今日也 獨自一人 望看著
會思慕 慈祥和善的 母親

 

 

 (原唱版)

~みかんの花咲く丘~ 川田正子 (Original.Ver)

 

 

 (再唱版)

みかんの花咲く丘 川田正子

 

 

 (台灣版)

橘子花開的山坡

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