【蛋糕和茶的一方的二人】

 

 「 In einer kleinen Konditorei(小さな喫茶店)」は、1928年にドイツでつくられたコンチネンタル・タンゴの歌謡曲です。

 

 作詞はエルンスト・ノイバッハ(de:Ernst Neubach)、作曲はフレッド・レイモンド(de:Fred Raymond)で、ヴァイマル共和政下のベルリンで作られて、1929年に製作された同名の映画の主題歌としても用いられています。

 

 この楽曲は、1934年(昭和9年)に日本に紹介されて、瀬沼喜久雄(青木爽)が日本語訳詞を書き、翌1935年5月に日本のポピュラー歌手 中野 忠晴(なかの ただはる、1909年5月27日 - 1970年2月19日)が演唱したことでも知られています。
 なお、この楽曲は、1996年の日本映画『学校の怪談2』で、あがた森魚の演唱により劇中歌としても使われています。

 

 ドイツ語原詞の内容は、「小さな喫茶店で、ぼくら二人はお菓子とお茶をそばにして座っていた。ぼくらはひとこともしゃべらなかったが、理解しあっていることがすぐにわかった。電気ピアノが『愛の喜びと悲しみ』という歌をかすかに奏でている。小さな喫茶店で、ぼくら二人はお菓子とお茶をそばにして座っていた。」と詠ずるもので、愛する二人が傍にいるだけで幸せを感じている情景を描写したものです。

 

 今どきの喫茶店の客は、商談や待ち合わせのビジネスマンが多いようで、余り若者を見かけませんが、この曲が発表された90年前には洋の東西を問わず喫茶店が若い男女のデイトコースの定番でした。
 日本でも50年ほど前まではカラオケやテーマパークのようなものは存在しなかったため、この詞のように喫茶店で寄り添うことがデイトの主流で、特に騒ぎ立てるようなこともなく甚だ静かなものでした。

 

 

 In Einer Kleinen Konditorei
 小さな喫茶店
 小咖啡店

                 Musik: Fred Raymond Text: Ernst Neubach

 

In einer kleinen Konditorei da saßen wir zwei
Bei Kuchen und Tee
Du sprachst kein Wort kein einziges Wort
Und wußtest sofort, dass ich dich versteh
Und das elektrische Klavier das klimpert leise
Eine Weise von Liebesleid und Weh
Und in der kleinen Konditorei da saßen wir zwei
Bei Kuchen und Tee

小さな喫茶店の中で私たち二人は座っていた
ケーキとお茶を前にして
二人は一言も話さずに
けれど、私には二人の心が通じ合っていることが分かっていた
エレクトリックピアノが静かに
愛の喜びと悲しみの曲を奏でていた
そして、その小さな喫茶店で、私たち二人は座っていた

ケーキとお茶を前にして
在小咖啡店中我們二人坐著
蛋糕和茶前做
二人也不談一句話
但是,明白我懂互相二人的心的
電鋼琴安靜
奏著愛的喜悅和悲傷
的曲子
並且,在那個小咖啡店,我們二人坐著
是蛋糕和茶的一方

 

(間奏)

 

Und in der kleinen Konditorei da saßen wir zwei
Bei Kuchen und Tee

そして、その小さな喫茶店で、私たち二人は座っていた
ケーキとお茶を前にして
並且,在那個小咖啡店,我們二人坐著
是蛋糕和茶的一方

 

 

 筆者注:

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A great tango from Berlin (3) In einer kleinen Konditorei - Saxophon-Orchester Dobbri (1929)

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 童謡『たなばたさま』は、作詩は権藤はなよ 、作曲は下総皖一によるもので、昭和16年(1941年)3月に文部省が発行した「うたのほん 下」に掲載された唱歌です。

 

 詩題にある「たなばたさま(七夕様)」の「さま(樣)」は、子供向けに七夕行事を丁寧に言ったもので、特に意味はありません。
 しかしながら、発音は「ta-na-ba-ta-sa-ma」と全ての音がァ(a)行の連続で揃えられて子供向けの韻を踏んでいます。

 

 童謡として作られたこの詩は、作詩当時であれば子供にも分かる平易なものでしたが、70年以上を経た現在では使われていない用語もありますので、次にいくつか解説しておきます。

 「のきば(軒端)」とは、昔の木造家屋の構造用語で、軒とは建物の外壁から張り出した屋根の庇のこと、軒端とは更にその左右の端っこのことを言います。

 当時、七夕の笹竹は軒端に飾られるのが一般的でした。

 

 「きんぎんすなご(金銀砂子)」とは、金箔、銀箔を細かくして、粉状にしたもののことで、蒔絵やふすま絵、色紙などに吹きつけて煌めくような装飾を施すためのもので、当時は非常に高価なものでした。

 この詩では、満天の星々が砂子を散りばめたように光り輝いている様子を表しています。

 また、子供が歌いやすいように、「すなご」の語尾は、次の詩語の「ごしき」の語頭と韻を踏んでいます。 

 

 「ごしきのたんざく(五色の短冊)」とは、「青、赤、黄、白、紫(黒)」の色とりどりの短冊のことで、これは、古代支那の五行思想に由来するもので、萬物を構成する「木・火・土・金・水」の5種類の元素を表わしています。

  この中で「水」を表す「紫」は、本来は「黒」ですが、日本では黒は好まれず、また「黒」では墨で文字を書いても読めないことから「紫」に変更されています。

 なお、古代支那から伝わったこの行事は、日本では江戸時代から短冊などを笹に飾って願い事をする風習として定着していますが、他の漢文化圏では織女のモデルでこの日が誕生日とされる七娘媽を祀ったり、織女にあやかって裁縫の上達を願い五色の糸を針に通したりする習俗はありますが、笹に何かを飾ることはありません。

 

 

  たなばたさま
  七夕様

               作詞:権藤はなよ 補作詞:林柳波 作曲:下総皖一

 ささの葉さらさら のきばにゆれる
 お星さまきらきら きんぎんすなご

 小竹葉沙沙作響 在屋簷邊搖晃
 星星閃亮 如金銀小粒沙

 

 ごしきのたんざく わたしがかいた
 おほしさまきらきら そらからみてる

 五彩短箋 我寫了(許願)
 星星閃亮 從天空看著

 

 

 

   七夕


 短箋掛小竹

 遙思玉山頭

 皓皓河漢女

 更値一年秋

 

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テーマ:
欧米語音楽諸諸
 

【アメリカの楽譜集「歌のこだま」に収録されている「仰げば尊し」の原曲(右下部)】

 

 日本の唱歌「仰げば尊し」は、1884年(明治17年)3月29日付「小学唱歌集第三編」に記載して発表された文部省唱歌ですが、この楽曲の作者は永年不明でした。

 

 しかし、2011年1月に一橋大学名誉教授の桜井雅人が、旋律やフェルマータの位置が「仰げば尊し」と同一である「Song for the Close of School」(学校卒業の歌)という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜集「The Song Echo」(歌のこだま)に収録されていることを発見しました。
 この楽譜集は、基本的に初出の歌曲のみを載せていることと、これ以外の収録歌集が現在知られていないことから、この楽曲こそが原曲であると推測されています。
 この楽譜集の表紙の注釈には、「A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle」(公立小中学校、少年クラス、神学校及び家庭のサークルに適するデュエット、トリオ及び聖歌の著作権のある楽曲集)と記載されています。
 同書では作詞者を「T.H.BROSNAN(T.H.ブロスナン)」、作曲者を「H. N. D.」であるとしています。
 作詞者のブロスナンは当時は学校の校長でその後保険業界で活躍したことが知られていますが、作曲者の「H.N.D.」については『歌のこだま』の編者ヘンリー・パーキンズ(Henry Southwick Perkins、1833-1914)とする仮説もありますが、確たる証拠は見つかっていません。

 

 この楽譜集を文部省音楽取調掛で二十歳になったばかりの伊澤修二(いさわ しゅうじ、1851年7月27日(嘉永4年6月29日) - 1917年(大正6年)5月3日) が入手して、日本語の歌詞を大槻文彦・里見義・加部厳夫の合議によって作り、『歌のこだま』発表の13年後の1884年(明治17年)に『小学唱歌集』第3編に収録して発表したのが「仰げば尊し」の始まりであると考えられています。
 なお、伊澤修二はその後も教育者兼文部官僚として活躍して、特に近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者として知られています。
 また、1894年(明治27年)の日清戦争後に日本が台灣を領有すると、伊澤修二は台灣へ渡り台灣總督府民政局學務部長心得に就任して、台灣で最初の小学校を設立するなど統治教育の先頭に立っています。
 現在の台灣の「仰げば尊し(靑靑校樹)」は、歌詞については戦後新たに作られたものですが、曲は伊澤修二が台灣赴任時に伝えたものと考えて間違いないでしょう。

 

 原曲の英語版の歌詞は、教室への思い出を詠ずるところは日本版と同じですが、友人との惜別の情をより明確にしていることと、恩師に関わることが一言もなく全編を通して神への畏敬の念を詠じているところに特徴があります。

 このことは、そもそも欧米には「恩師」という概念がないことを意味しています。

 日本や台湾では、教師は知識や技能を教えるだけではなく、高邁な人格を持って生徒を教導する人生の師即ち恩師として仰ぎ見られる存在が理想像とされてきました。

 これに対し、欧米では教師は知識や技能を取り扱うサービス業者に過ぎず、生活指導や道徳教育は親と聖職者の仕事とされています。

 欧米の教師は、日本で言えば自動車学校の教官やパソコン教室の指導員のようなものであって、生徒の人生観に影響を与えることなどはないようです。

 

 アメリカでは現在、この英語版の楽曲は忘れ去られており、キリスト教系の學校の卒業式でも歌われることはありません。
 例外的に、10人ほどのサークルの卒業式で、卒業生の一人が独唱している動画を見たことがありますが、聴衆は殆ど無関心でよそ見をしている状態でした。

 

 そもそもアメリカの卒業式では、合唱をする習慣がなく、もし歌うとしても国歌『星条旗』だけのようです。
 卒業生を見送る時には、合唱曲ではなく、スーザの『星条旗よ永遠なれ』やエルガーの『威風堂々』などの勇ましい行進曲で送り出すようで、日本や台灣のように涙にくれつつ別れを惜しむという感傷的な雰囲気ではないようです。

 

 卒業式とは別の卒業記念パーティーでは合唱もされますが、曲目は流行歌手のラブソングが殆どで純粋な卒業歌とは言えません。

 

 その他の国の卒業歌も調べてみましたが、アメリカと同様で、国歌を歌うところはあるものの卒業歌を歌う国は見当たりませんでした。
 そもそも、卒業式専用に作られた卒業歌そのものが存在しません。

 

 要するに、純粋な卒業歌を持つ国は、日本と台湾だけのようです。
 この古き良き伝統が継承されることを願いつつ、「仰げば尊し」3部作の最後にあたり原曲の英語版による演唱をご紹介します。

 

 

 Song for the Close of School
 学校卒業の歌
 學校畢業之歌

1
We part today to meet, perchance, Till God shall call us home;
And from this room we wander forth, Alone, alone to roam.
And friends we've known in childhood's days May live but in the past,
But in the realms of light and love May we all meet at last.

我らは今日別れ、まためぐり逢うのは、恐らくは神の家に召される時であろう。
そして、この教室から我らは歩み出て、一人で、只一人で流離うことになるだろう。
そして、幼な馴染みの友は、過去の思い出の中で生き続けるだろう。
しかし、光と愛の御国で、我々すべてが人生の最後のときには再会できるだろう。

今朝一別再相會 , 或許要到上帝召喚我們後 ;
從此教室我們漫遊人生 , 獨白漫遊。
童年時期的友們 , 也許活在過去的記憶裡 ,
僅在光和愛的領域中 , 願我們終究相會。

 
2
Farewell old room, within thy walls No more with joy we'll meet;
Nor voices join in morning song, Nor ev'ning hymn repeat.
But when in future years we dream Of scenes of love and truth,
Our fondest tho'ts will be of thee, The school-room of our youth.

ごきげんよう古き教室よ、汝の壁の内にありて、我らが楽しく集うことは二度とない。
朝の歌に声を揃えることも、夕べの賛美歌を繰り返すことももう二度とない。
しかし、幾年も後の未来においても、我らはこの愛と真実の場を夢見る。
我らの最も大切な思い出は、汝の中にある、我らが青春の日々を過ごした汝教室の中に。

告別了舊校舎 , 在校園裡 將不再有我們過往的喜樂 ;
無復晨歌合唱 , 亦無晩詠復誦。
但是多年後當我們神往 , 愛與真誠之境 ,
我們再美好的將是 , 校園教室内的青春年少。

 

3
Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear;
The tie is rent that linked our souls In happy union here.
Our hands are clasped, our hearts are full, And tears bedew each eye;
Ah, 'tis a time for fond regrets, When school-mates say "Good Bye."

ごきげんよう我らが心から愛した教室よ、ごきげんよう親愛なる学友たちよ。
我らの魂を、幸せな仲間としてここに繋いできた絆は引き裂かれる。
我らの手は固く握られ、心は満たされ、そして涙はそれぞれの目に溢れている。
ああ、今こそは惜別の時、いざ学友たちよ「さらば」と言おう。

告別了我們所摯愛的 , 告別了親愛的同學 ;
短暫的同窗之誼 , 快樂的將我們心靈在此連結。
我們緊握雙手 , 心中充滿喜樂 , 涙眼婆娑 ;
啊 ' 當同學們互道珍重時 , 是惜別的時刻說“再見”。

 

 

 

 

 


『Song for the close of school』A Cappella Original Arrangements by K.T

 

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