「栄光の架橋」(えいこうのかけはし)は、2004年7月22日にフォークデュオ「ゆず」が発表した楽曲です。

 

 作詞・作曲共に「ゆず」のリーダー北川悠仁(きたがわ ゆうじん、本名同じ、1977年1月14日 - )によるもので、その歌詞は、数々の苦難を乗り越えてきて更に今後も夢に向かって挑戦を続ける友人に贈る応援歌です。

 

 この楽曲は、NHK『アテネオリンピック中継』公式テーマソングとして使用され、その後もオリンピック開催の都度放送されているので、スポーツ選手への応援歌のように思われている向きもありますが、歌詞はスポーツに限定しているものではありません。

 

 この歌詞では、まず思い描いた「夢」の実現のために友人が今まで修行に耐えてきたことが無駄ではないことを詠じ、次にその実現すべき「夢」を「栄光の架け橋」の詞語を用いて包括的に比喩し、迷わずその架け橋即ち自分自身の人生の目標に向かって進んでゆくようにと詠じています。
 決して、オリンピックに参加するとか、入賞するとか、金メダルを取るとかの卑近な目標を詠じているわけではなく、また人それぞれに異なる人生の目標を一つだけに限定して詠じているわけでもありません。

 

 このように対象を包括的に詠じたことにより、この詞には多くの余情を持たせることに成功しています。
 つまり、スポーツ選手だけではなく、様々な分野でこれまで努力を積み重ねてきた全ての人々の門出にあたっての応援歌でもあり送別歌でもあると解釈できるように詠じているところが巧みです。
 そのため、この楽曲は今では学校などでの卒業歌としても使用されています。

 

 今回は、前回ご紹介した漢語版に引き続き、原唱の日本語版をご紹介します。

 

 

 栄光の架橋
 光榮之橋

             作詞・作曲:北川悠仁 演唱:ゆず(柚子)
誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに步んで來た道だ
あの時想い描いた 夢の途中に今も
何度も何度も あきらめかけた夢の途中

有一些淚水無法讓別人看到 
有一些淚水只能偷偷地流
這決非是一條平坦的道路 
但卻是一路踏實走來的道路
此刻仍在當時心中所描 繪的夢想途中
在那個曾經幾度 放棄的夢想途中

 

いくつもの日々を越えて
辿り著いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…

度過了無數個日子 
終於走到的今天
所以說無需迷惘只要前進就好
走向光榮之橋…

 

悔しくて眠れなかった夜があった
恐くて震えていた夜があった
もう馱目だと全てが嫌になって
逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの
支えの中で步いて來た

曾經有懊惱得睡不著覺的夜晚
曾經有在恐懼中顫抖的夜晚
也曾有對一切絕望
想要逃跑的時候
但回想起來畢竟還是在這許多支持中
一路走了過來

 

悲しみや苦しみの先に
それぞれの光がある
さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
希望に滿ちた空へ…

在哀傷與痛苦的前方 
有各自的光明在等待
走吧  不要回頭只需向前走
走向充滿希望的天空…

 

(間奏)

 

誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった

有一些淚水無法讓別人看到
有一些淚水只能偷偷地流

 

いくつもの日々を越えて
辿り著いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと…
終わらないその旅へと
君の心へ続く架橋へと…

度過了無數個日子 
終於走到的今天
所以說無需迷惘只要前進就好
走向光榮之橋
走向無盡的旅程
走向通往妳心中的那座橋…

 

 


栄光の架橋 - ゆず

 

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 『光榮之橋』は、日本のフォークデュオ・ゆずが2017年4月26日に発表したベストアルバム『YUZU 20th Anniversary ALL TIME BEST ALBUM ゆずイロハ 1997-2017』の台湾限定盤に収録されている楽曲です。

 

 この曲は、ゆずが2004年7月22日に発表して、NHKの『アテネオリンピック中継』公式テーマソングとしても使用されたシングル「栄光の架橋」(えいこうのかけはし)の台灣國語版です。

 

 日本語のオリジナル版では、詞・曲共にゆずのリーダー北川悠仁(きたがわ ゆうじん)が作ったものですが、台彎國語版の歌詞については、台灣の著名な作詞家姚謙(1961年6月21日-)が原詞を翻案して作った別の詞が付けられています。

 詞中に見える「你還是可以為自己驕傲」と「你一定要爲自己而鱎傲」とは、「你」とは誰なのかまた「我」と「你」とはどのような関係なのかが分かりにくい表現ですが、文脈上これは夢に向かって突き進むと誓った本来の自分「我」が、変わらず努力を積み重ねている今の自分自身「你」を励ましている文言であると解釈しておきます。

 

 この台灣版のMVは、発表以来最近まで日本国内では視聴不可能でしたが、今回、読者各位のご要望にお応えして台灣國語版を逆輸入し伊賀流和訳を添付してご紹介します。

 

 

 光榮之橋
 光栄の橋
                作詞:姚謙    作曲:北川悠仁 演唱:柚子
 問過自己擁夢的手
 怎能抹淚沈默
 夜深人靜孤獨時候
 要握著拳入夢
 記得昨天的我
 以為勇氣就擁有
 而明天卻試鍊著
 如何留住初心的執著
 指向夢想大聲宣誓的我
 被多少時間的浪淹沒過
 就算做錯就算重頭
 我還懷疑是不是原來的我
 「你還是可以為自己驕傲」
 我總是這樣為自己祈禱
 接近了夢想 就能夠邁向 這光榮之橋
 栄光の架橋へと

 夢を抱き寄せる手段を自分自身に問いかけたこともあった
 沈黙したままで泣いてばかりはいられなかった
 夜が更けて人が寝静まる孤独な時
 硬くこぶしを握りしめたままで寝付くこともあった
 昨日の僕を覚えている
 勇気を持とうと思った
 そして明日も試練は続く
 初めに心に決めたことをどのようにして維持しておくべきか
 夢に向かって突き進むと大声で誓った僕に
 どれほど多くの時間が過ぎ去っていったのだろうか
 たとえ間違っていたとしても たとえ再びやりなおすとしても
 僕はまだ本来の僕のままで良いのかどうか迷っていた
 「君はやはり自分自身を誇りとすればよい」と自分自身に言い聞かせた
 僕はいつものように自分自身の健闘を祈っている
 夢に近づいてきた 踏み出すことができる夢に この光栄の橋へと
 栄光の架橋へと

 

 有的時候 不甘心的苦痛
 如烏霾籠罩我
 腳步蹣跚 有了放棄念頭
 忘記出發理由
 曾指向夢想的 無所懼 當時的我
 是否就要被淹沒了
 就算做錯了 就算要重頭來過
 我怎能夠 忘記了 原來的我
 「你一定要為自己而驕傲」
 我總是這樣為自己祈禱
 接近了夢想 就能夠邁向 這光榮之橋
 我知道這是我必經之道

 時には思いもよらぬ苦痛もあった
 まるで黒い土煙が私を覆って閉じ込めたかと思うような時もあった
 足どりがふらついて諦めようと考えたこともあった
 修練を始めた時の目標を見失ったこともあった
 嘗て夢に向かって突き進んでいたころは 何も恐れることはなかった その当時の僕が
 ここで埋没してしまって良いのだろうか
 たとえ間違っていたとしても たとえ再びやりなおすとしても
 僕はどうして忘れることが出来ようか 本来の自分を
 「君は自分自身に誇りを持つとよいだろう」と語りかけてくる本来の自分を
 僕はいつものように自分自身の健闘を祈っている
 夢に近づいてきた 踏み出すことができる夢に この光栄の橋へと
 僕は知っている これこそ僕の必ず通るべき道だと

 

(間奏)

 

 問過自己 擁夢的手
 怎能抹 淚沈默
 夜深人靜孤獨時候
 要握著拳入夢

 自分に問いかけたことがあった 夢を掴む手段を
 どうして沈黙してめそめそと泣いてばかりいられようか
 夜が更けて人が寝静まる孤独な時
 こぶしを硬く握りしめたままで寝付くこともあった

 
 「你一定要為自己而驕傲」
 我總是這樣為自己祈禱
 接近了夢想 就能夠邁向 這光榮之橋
 栄光の架橋へと

 我知道這是我必經之道
 接近了 夢想時候
 也邁向 架橋へと

 「君は自分に誇りを持つとよいだろう」と本来の自分が語りかける
 僕はいつものように健闘を祈っている
 夢に近づいてきた 踏み出すことができる夢に この光栄の橋へと
 栄光の架橋へと 
 
は知っている これこそ僕の必ず通るべき道だと
 近づいてきた 夢に想っていたその時に
 さあ踏み出そう この架橋へと

 

 

 

 

 


【ゆず】光荣之桥(中文字幕版)栄光の架橋

 

 

 おまけ:
 「ゆず 栄光の架橋 in Taiwan 2016.7.15(台灣國語版発表の前年)」
 (コンサート前日台北西門町紅樓廣場で行った約20分間の路上liveでのラストソング)

 


ゆず 栄光の架橋 in Taiwan

 

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   海行
      伊賀山人謹白    
  海行何厭水漬屍
  山行何厭草蒸屍
  惟思死生在君側
  不惜身命固不顧

 

 


海ゆかば (Umi Yukaba) ~If I go away to the sea~ Japanese military song

 

 日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。

 日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。

 今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのはいったい誰のおかげであるのか。

 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためである。

 12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大な決意をされた日である。

 さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。

 我々はこの二つの日を忘れてはならない。

 

(タイ王国の新聞サイアム・ラット紙の主幹で後のタイ王国首相ククリット・プラモート談)

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