「少年時代」(しょうねんじだい)は、日本のシンガーソングライター・井上陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 - )が1990年9月21日に自身通算29枚目のシングルとして発表した楽曲です。

 

 この曲は元々、同年に製作された同名の東宝映画の主題歌として作られたもので、作詞は井上陽水、作曲は井上陽水と平井夏美(実名:川原 伸司、1950年 - )との共作です。

 

 映画の方は、作家柏原兵三の小説『長い道』を、漫画家の藤子不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エイ、本名:安孫子 素雄(あびこ もとお)、1934年3月10日 - )が題名を『少年時代』に変えて、1978年(昭和53年)から1979年(昭和54年)まで『週刊少年マガジン』(講談社)に連載した漫画が原作となっています。
 そのストーリーは、主人公で小学5年生の風間進一が戦時中の昭和19年に東京から富山へ疎開してから終戦までの約1年間に体験した出来事を描いたものです。

 

 主題歌の製作は、当初藤子不二雄Ⓐが歌詞を自作して、飲み友達であった井上陽水に作曲を依頼したことが切っ掛けとなっています。

 

 井上陽水は、所謂「曲先(曲を先に作り、歌詞を後で作る)」を得意とする音楽家であったことから、この藤子の歌詞を受け取って相当悩んだようで、自身の全国ツアーをキャンセルしスタジオに篭って作曲に取り組みました。

 

 3週間後に出来上がった曲は、藤子Ⓐが事前に抱いていたイメージ通りの素晴らしい楽曲となりました。
 ところが、事前に藤子Ⓐが提供した歌詞は1行も使われていませんでした。
 そのことを関係者に聞かれた井上陽水は「安孫子さんの心をもらった」と無難なコメントをしていますが、本心は素人の作った下手な歌詞に納得できなかったのでしょう。

 

  井上陽水の作詞法は、先に作った曲に合う詞語を探して当てはめるやり方を採っています。
 日本語には高低アクセントがあるため、曲のメロディーに合う詞語を探すのは甚だ難しく、どうしても曲調に合わない場合には、助詞・助動詞を省略して、一種の造語のような詞句が使われることがよくあります。
 この歌詞の中にも、「風あざみ」「夏模様」「宵かがり」「夢花火」などが省略技法による詞語と思われますが、多くの人々が陽水の造語であると考えています。
 当の陽水は、インタビューなどでこれらの詞語の意味をしばしば問われるのに嫌気がさしているようで、「世の中に風あざみが有ったっていいじゃないか。」とか「響きのよさで作った言葉で意味なんかないんだよ。」などと答えていますが、実態は省略技法と考えるのが自然でしょう。

 

 歌詞の内容は、映画を見ていない人には分かりにくいのですが、主人公の風間進一少年が昭和19年の夏に東京から富山に疎開して翌年終戦直後に東京へ帰るまでの約1年間の思い出を詠じたものです。
 映画では、主題歌でありながらエンディングだけで演唱されており、大人になった風間進一が少年時代を回想している様子を象徴的に表現しています。 

 

 

 少年時代  
 
少年時代

 

夏が過ぎ 風あざみ
だれの憧れにさまよう
青空に残された 私の心は夏もよう

夏日時光流逝 微風吹拂薊花
憧憬的那個人 使人迷惘
被青空遺留下的 我心仍是夏日情景

 

夢が覚め 夜の中 
長い冬が 窓を閉じて 
呼びかけたままで
夢はつまり 想い出の後先(あとさき)

當夢醒時分 夜半已深
永遠的冬日 早已關上了窗
就這樣呼喚著吧
夢想其實是 回憶的前與後

 

夏祭り 宵かがり 
胸の高鳴りに合わせて
八月は 夢花火 私の心は夏もよう

夏日的祭典 通宵的篝火
迎合著胸口的鼓動
八月有著夢想煙火 我心仍是夏日模樣

 

(間奏)

 

目が覚めて 夢のあと 
長い影が 夜に伸びて 
星屑の空へ
夢はつまり 想い出の後先

當睜開雙眼 夢境的痕跡
正拉長著黑影向夜晚延伸
朝向那繁星點點的天空
夢想其實是 回憶的前與後

 

夏が過ぎ風あざみ 
だれの憧れにさまよう
八月は 夢花火 私の心は夏もよう

夏日時光流逝 微風吹拂薊花
憧憬的那個人 使人迷惘
八月有著夢想煙火 我心仍是夏日模樣

 

 

 


少年時代/井上陽水

 

文章標籤

伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

 

                          (2019/12/27 ⓒ 杏花)

 

 今回は、「父の日」にあたり、タイ王国の生命保険会社が放映していたCMをご紹介します。

 

 抑々世の中に、ホームドラマに出てくるような心身共に完全無欠で理想的な父親など何処を探しても一人もいません。それは、理想的な息子や娘が何処にもいないのと同じことです。

 

 この動画では、父子家庭で育った反抗期の娘が障礙を持つ父親を嫌悪して事有るごとに反発しますが、父親はそれでもなお娘の幸福と健康を願い続ける無限の愛を表現しています。

 

 

 


タイの泣ける感動のCM(日本語字幕)【タイ生命保険_ไทยประกันชีวิต_ดูแล คนที่ดูแลคุณ】

文章標籤

伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

  • Aug 07 Fri 2020 00:00
  • 時代

2020/08/04 14:40

 

 「時代」(じだい)は、日本のシンガーソングライター中島 みゆき(なかじま みゆき、本名:中島 美雪(読みは同じ)、1952年2月23日 - )が1975年9月25日にレコードデビューした翌月の1975年10月12日に発表し、同1975年12月21日に自身2枚目のシングルレコードとして発売した楽曲です。

 

 中島みゆきの独特な作風と個性的な歌唱法は、デビューから45年を経た現在でも幅広い年齢層の支持を受けています。

 

 雑誌『ダ・ヴィンチ』2007年10月号の中島みゆき大特集によると、彼女は自らの歌作りについて、「トレンドを追う情報収集のようなことは自分にはできない。私に何ができるのかというと早さより遅さであり、先を急ぐ人たちは、たいてい何かを落としてしまうので、自分は笊(ざる)を持って、それを拾っていこうかなと考えている」と語っています。

 

 その言のとおり、彼女の詞作には時代の最先端を行き脚光を浴びる強者を直接的に応援するようなものはなく、どちらかというと時代に乗り遅れた日陰者の弱者にそっと寄り添い間接的にそれとなく応援するような作品が多く見られます。また、巧みな比喩表現と主語の省略による包括的かつ抽象的な表現に特徴があり、聞く人それぞれの立場や境遇に応じた解釈ができる深遠さが、世代を超えて支持される理由の一つにもなっています。
 曲については、音域がそれほど広くはないので、素人でもカラオケで十分歌えますが、楽譜を見ると、三連符や転調を多用し場合によっては#が5個も付くロ長調を使用するなど非常に技巧的なものになっており、正確に歌いこなすのは職業歌手でも難しいものになっています。
 音域は、彼女自身が「コントラアルト」(contralto:コントラルト又アルト)と標榜しているとおり、女声としては低い方で、高音で絶叫するような歌唱法が主流の現在、珍しい存在になっています。彼女の歌唱法は、基本的にはアルトの声で朗々と歌い上げるものですが、曲調や詞想に応じて幾つかの声色を使い分けており、場合によっては1曲の中でも声色が変化していることが多々有ります。
 ラジオ番組などで話している声を聞くと、アニメのキャラクターのような高音の声で、歌唱とのギャップが大きく、初めて聞いたときはとても中島本人とは思えませんでした。

 

 普段の彼女は、巧まざるユーモアの持ち主で、2009年11月3日、長年の音楽活動の功績により紫綬褒章を受章した際のインタビューでは、「 思いがけずうれしいことの表現に『棚からボタ餅』と申しますが、今の私の気持ちは『棚から本マグロ』くらいの驚きでございます。ふつう、何かを頂けそうな場合には二度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのがマナーなのでございましょうが、褒章となりますと『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら二度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます!』と、お返事してしまいました。」とコメントしています。

 

 歌手の紹介が長くなりましたが、今回ご紹介する「時代」(じだい)は、中島みゆきが作詞・作曲した楽曲で、1975年10月12日のヤマハ音楽振興会主催の『第10回ポピュラーソングコンテストつま恋本選会』と同年1975年11月16日の『第6回世界歌謡祭』で演唱してグランプリを受賞し、その直後の12月21日にシングルレコードを発売して、20万枚を売り上げるヒット作品となりました。
 その後、学校の卒業式で歌われたり、音楽の教科書に掲載されたりして親しまれ、2007年に「日本の歌百選」にも選ばれています。
 2010年にはフジテレビ開局50周年記念ドラマ『わが家の歴史』のエンディングテーマとしても用いられています。

 

 曲は元々四分の四拍子ですが、三連符が多用されていることから、八分の十二拍子に書き換えられた楽譜が多く存在します。この際、四拍子の時の八分音符が十二拍子でも付点を付けずそのまま記載されていますので、両者の縦は微妙に異なることになり譜面どおりに演唱するとリズムがやや異なるものになります。
 歌詞の大意は、「悪い時代がいつまでも続きはしない。今は別れた恋人たちもまた巡り合うことが有る。今は倒れた旅人達もまた歩き出せるようになる。」と詠じるもので、そのような絶望の淵にある人々に声高に頑張れとは言わずに、それとなく応援するものになっています。
 この歌詞には、一人称・二人称の主語は書かれていませんので、歌いだしで悲しみの底にいる人は、歌い手自身とも聞き手の方とも解釈できます。
 詞中に見える「時代はまわる」「時代はめぐる」との表現は、「時代は目まぐるしく変化する」とも、「季節が巡るように悪い時代と良い時代は繰り返し訪れる」とも解釈し得る深遠なものです。
 また、「生まれ変わって」の一句は、語義のとおりであれば死後のことに言及しているようにも見えますが、彼女の作風から考えると、これも比喩表現としての暗喩であり、直喩としては「生まれ変わったように」と解釈すべきでしょう。

 

 高度経済成長期に、時代の先端を肩で風を切って走り抜ける人々の後ろの方で、彼らが目もくれずに落としていった弱者への共感や思いやりを拾い集めようとして書き上げた、中島みゆき23歳の折の作品です。

 

 

 時代
 時代

                   中島みゆき作詞・作曲・演唱

 

今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど

如今內心感到 如此的悲哀
淚水流盡 無法哭出來
已經再向往日的笑容
好像不能返回,不過

 

(間奏)

 

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ

“也有過這樣的時候啊”
會有那麼一天 終於可以講出來
“也有過那樣的時候啊”
一定會有一天 能夠笑著講出來
所以吧 今天你就別再煩惱
被今天的風吹吧
流轉 流轉 時代總在流轉  
喜悲 悲喜 永遠重複
在今天分手的戀人們啊
也終究能夠擺脫過去 邂逅新的相逢吧  

 

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩き出すよ

不斷走在旅路的遊子
總有一天也會遇見故鄉
就算今晚我倒下身軀
也要堅信有一天能再從這扇門走出去
就算今天等待我的是無休無止的
冷雨一場 我也不會懼怕和退縮
循環 循環 時代總在循環
別離 相遇 永遠重複   
在今天倒下的遊子們啊
也總會有洗心革面的一天 再度出發吧

 

(間奏)

 

まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

流轉 流轉 時代總在流轉 
分合離聚 不斷重複
今天跌倒的遊子們
一定能站起來 再次出發

 

今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって 歩き出すよ

今天跌倒的遊子們
一定能站起來 再次出發

 

 

 レコード版▼

 

 

 ライブ版▼

 

 

文章標籤

伊賀山人 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()

Close

您尚未登入,將以訪客身份留言。亦可以上方服務帳號登入留言

請輸入暱稱 ( 最多顯示 6 個中文字元 )

請輸入標題 ( 最多顯示 9 個中文字元 )

請輸入內容 ( 最多 140 個中文字元 )

reload

請輸入左方認證碼:

看不懂,換張圖

請輸入驗證碼